誕生と発展の歴史

機械式計算機

計算機は,1940年代半ばに初めて電子式計算機が出現するまで,機械式あるいは電気機械式であった.現在残っている最古の機械式計算機はフランスのブレーズ・パスカルが1643年に作った計算機パスカリーヌである.パスカリーヌは歯車を回して加減算を行うことができた.ドイツのゴットフリート・ライプニッツは四則演算が可能な計算機を1694年に製作した.これらの計算機は実用化されなかったが,19世紀になってフランスのシャルル・トマがライプニッツの計算機を改良し,商品化に成功した.

我が国最初の機械式計算機は,1902年に完成した矢頭良一の自働算盤である.矢頭は1903年に特許を取得して,これを200台製作し販売した.四則演算が可能で,数の入力にはそろばんと同様の方式をとり,独自の機構により乗除算の自動桁送りと計算終了時の自動停止の機能を実現した.自働算盤はその後忘れられていたが,1965年に再発見された. 1923年には大本寅治郎がドイツ製ブルンスビガ型計算機を改良した機械式卓上型計算機を開発し,虎印計算機と名付けて販売した.のちにタイガー計算器と改名し,外国製品より安価であったことから広く普及し,1960年まで製造された.

これらの手動式の卓上型機械式計算機は,その後モータを採用した電動式卓上計算機に発展していく.

一方,イギリスのチャールス・バベッジは,階差法により自動的に数表を作成する階差機関という歯車式の機械を実現しようと努力した.1832年に小規模な装置を試作したが,その後開発が行き詰まって中断し,1834年ごろからは解析機関の検討を始めた.解析機関は機械式であるが,記憶装置と演算装置から構成され,外部から与えたパンチカードによりプログラム制御する方式となっており,完成はしなかったが今日のコンピュータの元祖といえる.

電気機械式計算機

19世紀の終わりごろには小形電気モータが登場し,電気を動力とする計算機を開発できるようになった.米国では統計処理を効率化するため,ハーマン・ホレリスはパンチカードを用いた統計処理機械を1884年に開発した.これはパンチカードシステム(PCS)として発展し,20 世紀に入って事務処理に大量に使用された.
我が国では,ホレリスの統計処理機械と同様のものが,川口式電気集計機として逓信省の川口市太郎により1905年に試作された.

ドイツのコンラッド・ツーゼはプログラム制御で電気駆動式の機械式計算機Z1を1938 年に開発し,その後リレーを使ったZ2,Z3 を戦時中に開発した.また,米国のベル研究所では,1940 年にリレー式の複素数計算機(モデルI)がジョージ・スティビッツにより開発され,その後リレー式計算機モデルII 〜 V が開発された.

一方,ハーバード大学のハワード・エイケンは電気機械式自動計算機Harvard Mark I を1944年に開発した.紙テープにより制御シーケンスを与え,モータで連結されたロータリスイッチを動かしていた.

1930年代に日本電気(以下NEC)の中嶋章は,リレー回路の設計を理論的に取り扱えるようにするために研究を行い,榛澤正男とともにスイッチング理論の論文を発表した.その後電気試験所(後の電子技術総合研究所(電総研),現在の産業技術総合研究所(産総研))の大橋幹一,後藤以紀はこれを論理代数,論理数学に発展させた.駒宮安男はこれを電気計算回路理論に応用し,リレー式コンピュータETL Mark Iを1952年に,ETL Mark IIを1955年に開発した.なお,米国のクロード・シャノンは中嶋章等の論文発表後に,同様のスイッチング理論の論文を発表している.

東京大学の山下英男は戦時中より統計機の研究を行い,1948年にリレーや度数計を用いて山下式画線統計機を開発し,1952年に富士通および日本電気で商品化された.富士通は1954年にリレー式計算機FACOM 100を完成した.

真空管計算機

米国では戦時中にコンピュータ(電子計算機)の研究開発が積極的に進められ,1946年に真空管式のENIACが完成した.この計算機は、プログラムこそ内蔵していなかったけれども,ケーブルの配線を変えることでさまざまなプログラムを実行できる構造になっていた.その後,プログラムを内蔵した真空管式のコンピュータが次々と開発された.

我が国のコンピュータの研究開発は終戦後に開始された.1950年前後に大阪大学,富士写真フイルムおよび東京大学で,真空管式計算機の開発がほとんど時を同じくして開始された. 大阪大学の城憲三は1950年にENIAC追試実験装置を試作し,続いて本格的な2進法真空管式計算機の開発に着手した.1959年ごろには基本的な機能動作は確認されたが,その後トランジスタ式計算機の商用機導入が決定されたため開発が中止された.

富士写真フイルムではレンズ設計の自動計算のため,岡崎文次が真空管式計算機FUJICの開発を1949年から開始し,1956年に完成した.東京大学では1951年に文部省科学研究費を得て電子計算機の研究を開始し,翌1952年に1,011万円の機関研究費を得て東京芝浦電気(以下東芝)と共同で真空管式計算機TACの開発を開始し,1959年に完成した.

我が国では真空管式の商用計算機は開発されず,真空管式計算機から第二世代機への直接の技術継承はなかったが,先駆者として果たした教育的,啓蒙的役割は非常に大きい.

パラメトロン計算機

パラメトロン式計算機は,日本で発明されたパラメトロンを用いた日本独自の計算機である.1954年に東大の後藤英一が新しい演算素子パラメトロンを発明し,東大では真空管式のTACと並行してパラメトロン計算機PC-1の試作を開始した.つづいて電電公社(現在のNTT)電気通信研究所,東北大学(NECと共同),国際電信電話研究所など国内の大学,研究所によりパラメトロン計算機の研究開発が開始された.電気通信研究所のMUSASINO-1が1957年に稼働し世界で最初のパラメトロン計算機となった.企業でも日立製作所(以下日立),NEC,富士通信機製造(現在の富士通),沖電気工業(以下沖電気),日本電子測器,光電製作所でつぎつぎパラメトロン計算機が製品化された.また大井電気ではパラメトロン電卓が製造された.

パラメトロン計算機は科学技術計算を主目的としていた製品が多く,それらでは2進法並列方式がとられた.パラメトロンは信頼性の面では優れていたが速度,消費電力の面でトランジスタに比べ不利であった.改良にも限界があり,トランジスタの信頼性が向上するにつれてトランジスタに置き換えられていき,1960年代前半でパラメトロン計算機の開発は打ち切られた.

トランジスタ計算機

トランジスタはベル研究所のジョン・バーディーン,ウォルター・ブラッテン,ウイリアム・ショックレーにより1948年に発明された.トランジスタ計算機TRADICが同研究所で1954年に開発されたが,プログラム内蔵式ではなかった.電気試験所では,リレー式計算機に続いてトランジスタ式計算機の研究開発を行いETL Mark IIIを1956 年に試作した.これはプログラム内蔵式トランジスタ計算機としては,世界で最初に開発されたものの1つである.電気試験所ではつづいて実用機のETL Mark IVを1957年に開発し,この技術を用いてNECのNEAC-2201が1958年に,日立のHITAC 301が1959年に開発された.

ETL Mark IVは磁気ドラムを内部記憶に使用していたが,電気試験所ではコアメモリを増設するなど改造を行い,ETL Mark IV Aを1959年に開発した.この年には京都大学と日立が共同で京都大学向けにKDC-1を開発した.

1960年に三菱電機は高速演算の付加装置を持つMELCOM 1101を開発した.1961年には富士通が同社初のトランジスタ計算機FACOM 222を開発し,沖電気ではコアメモリを全面的に採用したOKITAC5090を開発した.また京都大学と東芝は共同で,我が国初めてのマイクロプログラム制御計算機KT-Pilotを開発した.1962年にはNECが大型計算機NEAC-2206を発表し,1963年に富士通は小型汎用機FACOM 231を開発,東芝はKT-Pilotをもとに科学技術計算用のTOSBAC-3400を開発した.

国鉄の鉄道技術研究所(現在の鉄道技術総合研究所)の穂坂衛らは,オンラインリアルタイム処理を行う座席予約システムMARS-1を設計し,日立がこれを製作した.このシステムは1960年1月より稼働を開始し,世界最初の列車座席予約システムとなった.後継システムのMARS-101は1964年に完成した.

1960年代のはじめまでは,パラメトロンやトランジスタを用いて我が国の独自技術によりコンピュータの製品開発が行われてきたが,コンピュータのデータ処理システムへの発展に対応するため,海外企業からの技術導入も行われるようになった.日立はRCAと,NECはハネウェル社と,三菱電機はTRW社と技術提携を行い,製品系列を強化した.