外国人研究者:「俺は後藤という日本人を3人知っている.パラメトロンの後藤,ゴトー・ペアの後藤,磁気単極子の後藤.お前はそのどれかか」後藤英一:「俺はそのすべてだ」の後藤英一は1931年1月26日東京渋谷に生まれた.
成蹊高等学校から東京大学に進学,1953年理学部物理学科を卒業.大学院生を経て,1958年4月東京大学理学部助手となり,1959年8月東京大学理学部助教授,その間1961年から1年間MIT電気工学科の客員助教授,1968年5月理化学研究所情報科学研究室主任研究員(兼務),1970年8月東京大学理学部教授,また1986年10月新技術開発事業団創造科学技術プロジェクトリーダ(兼務)となる.1991年3月東京大学退官後,同年4月神奈川大学理学部教授となり,同年5月から理化学研究所特別研究室長(非常勤)として5年間勤務した.
後藤の研究業績は多岐にわたるが,初期の頃の研究成果であるパラメトロン計算機の研究により1962年3月東京大学より理学博士の学位を得た.1971年から1974年にIFIP(情報処理国際連合)の副会長を務めたほか,情報処理学会の理事を何度も歴任した.1994年から情報処理学会名誉会員.
後藤は1954年,高橋研究室の大学院生の時,パラメータ励振による,LC回路の発振位相の二安定状態への引き込み現象を利用する多数決論理素子,パラメトロンを発明した.さらに,パラメトロンに適した磁心による二周波メモリ方式,誤り訂正符号を利用した語選択方式などを考案し,パラメトロンおよびメモリの実用化の見通しが得られた1957年4月から,パラメトロン計算機の製作に着手した.パラメトロン計算機PC-1は1958年3月に誕生した.後藤はPC-1の完成後,直ちにその上位機PC-2の開発を開始し,富士通が組み立てを担当した.
その後,パラメトロンに関する理論と応用に関する研究を続ける一方,1957年に発表されたエサキ・ダイオードの高速スイッチ特性にいち早く着目し,1959年ゴトー・ペアと呼ばれるパラメトロン類似の超高速論理素子を考案,その動作を実証するための実験的研究を成功させた.
後藤は磁気単極子に興味を持っていて,計算機に関する研究のかたわら,その探索に関する理論および実験的研究も行った.また,後には半端(はんぱ)電荷電子の探索研究も行った.
計算理論に関しては,ハッシングによる情報検索に興味を持ち,これを記号処理言語LISPに適用し,いわゆるHLISPを発表した.さらにハッシングを並列化した検索手法の理論的解析を行うと同時に,それをハード化する提案を行った.
理化学研究所主任研究員の兼務を始めた頃,後藤はコンピュータグラフィクスに興味を持っていたが,着任と同時に二重偏向方式高精度ブラウン管および,移動電子レンズ(MOL)方式の高解像度画像メモリ管を提案し実用化した.MOL概念は電子幾何光学に新しい分野を開き,その原理は電子ビーム露光装置の収束偏向系に採用されている.また,後藤は電子ビーム露光装置の高性能化を可能にする可変面積型電子ビーム露光方式を提案し実用化した.
後藤は以前から計算機による数式処理にも興味を持っていたが,効率化を目指して,専用の数式処理システムの開発研究,いわゆるFLATSプロジェクトを行った.FLATSの処理装置は,前述の並列ハッシュ検索回路のほか,数式処理を効率よく実行するためのハードウェアを備えていた.
後藤はさらに,超伝導状態で作動するジョゼフソン接合を用いたパラメトロン類似の超高速論理素子,磁束量子パラメトロン(QFP)を考案し,新技術開発事業団のいわゆる後藤量子情報プロジェクトのリーダとしてその研究を推進した.
2005年6月12日逝去.
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