日本のコンピュータパイオニア

後藤 以紀後藤 以紀
(ごとう もちのり)
1905〜1992

後藤以紀は1905年2月10日生まれ.1927年東京帝国大学工学部電気工学科を卒業,直ちに電気試験所第3部に入り,1934年東京帝国大学より工学博士の学位を授与された.1948年電気試験所電力部長,1952年所長,1960年工業技術院長,1961年工業技術院長を退き,東京工業大学教授,1965年明治大学教授となった.また1963年4月から1965年3月まで情報処理学会長を務め,1975年名誉会員に推薦された.

元来電力工学の研究者であるが,数学に秀で,電気試験所の先輩であった大橋幹一の遅れを考慮した継電器回路理論に注目していた.大橋の理論はスイッチング関数の変数として時間を陽に含む関数方程式を解くことに帰着するもので,これを解くために大橋は独自の演算子法を考案したが成功しなかった.

後藤は大橋の理論を検討し,その解法を容易にするために,時間遅れを論理関数に取り入れるように論理代数を拡張し,これを論理数学と称した.この体系の下に未知の論理関数を含む方程式すなわち論理関数方程式を解くことにより,継電器回路の動作を時間の関数として求め,その解析および構成を計算によって行うことに成功した.後藤の解法理論は駒宮安男によって,電気計算回路理論に応用され,電気試験所のETL Mark IMark IIに実用された.

なお電気通信学会(現在の電子情報通信学会)には早くも1953年に電子計算機研究専門委員会が設けられた.初代の委員長と幹事は前田憲一と喜安善市であったが,1958年から後藤と高橋 茂となり,1962年幹事は高橋から西野博二に代わったが,後藤は1965年まで委員長を務めた.この委員会では歴史的にも意義のある多くの研究成果が発表された.

勲二等瑞宝章
 1992年2月12日没.


(高橋 茂)