日本のコンピュータパイオニア:高橋 茂

高橋 茂高橋 茂
(たかはし しげる)
1921〜2005

高橋茂は1921年4月1日生まれ.1944年9月慶應義塾大学工学部電気工学科卒業.卒業に先立ち6月に運輸通信省電気試験所第5部(後の材料部)に入る.1953年論文「電気絶縁材料の誘電特性とその測定法の研究」により慶應より工学博士の学位を得た.これは同大学が授与した第1号の工学博士であった.翌年7月,高橋は和田 弘が創設した電気試験所電子部に移り,ようやく国産化が始まったトランジスタを主要素子とする計算機の開発を担当,西野博二らとともに1956年7月ETL Mark IIIを完成した.これはプログラム記憶方式では,岡崎文次Fujicに次ぐ我が国で2番目,トランジスタ式では最初の計算機であった.初期に開発された点接触型トランジスタを使用したため,その劣化に悩まされたが,安定な接合型トランジスタが出現したので,Mark IIIで得た自信の下に,直ちにこれを主要素子とするETL Mark IVの開発に着手し,西野博二,相磯秀夫,松崎磯一などとともに1957年11月にこれを完成した.Mark IVの技術は日本電気,日立などに伝えられ,国産電子計算機の立ち上がりに貢献した.その頃部長の和田が機械翻訳に興味を持ったが,Mark IVでは記憶容量が不足だったので,高橋が英和翻訳の専用機「やまと」を設計,渡辺定久などとともに1959年2月にこれを完成した.これより先,高橋は山下英男が理事として我が国を代表していた国際計数センタ(ICC)のフェローシップを与えられ,2月から約1ヵ年間海外に出張することになっていた.一方「やまと」は急造したため,誤配線が多く,高橋が出発する前日の夕方になってようやく完成し,゛I like music.″を「ワレガ オンガクヲ コノム.」と訳せるようになった.

高橋はICCのフェローシップによって,ケンブリッジ大学,イリノイ大学をはじめ欧米各所で見聞を広め,1959年末帰国,直ちに超高速計算機Mark VIの開発に着手したが,1962年4月日立製作所に移ったためその完成を見ることはなかった.高橋は日立では同社のHITAC 8000シリーズ,DIPS,初期のMシリーズなどの主要製品の製品計画・開発を担当,終始同社コンピュータ事業での製品計画の責任者であった.

1980年高橋は日立を退社,筑波大学教授となった.1986年東京工科大学が設立されるとともに,その情報工学科主任教授,副学長を経て,1996年6月学長,1999年5月その任期を終え,同7月(学)片柳学園理事(大学担当)となった.高橋は情報処理学会設立以来その活動に貢献し,1967〜68年と1970〜71年に理事・常任理事,1979-80年副会長,さらに和田 弘の後を受けて1988年1月から1994年6月まで同規格調査会会長,その間情報技術の国際標準化機構であるISO/IEC JTC 1に対する日本の主席代表を務めた.1994年7月以来情報規格調査会顧問.なお1981年以来歴史特別委員会委員長.1988年功績賞.1990年名誉会員.

東京工科大学名誉教授.


(2005.11.22現在)

2005年11月22日逝去(事務局注).