相磯秀夫は1932年3月3日生まれ.1955年慶應義塾大学工学部電気工学科を卒業し,1957年同大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程を修了した.
彼は大学院の学生のうちから通商産業省電気試験所の「トランジスタ計算機の研究開発」に参加し,和田 弘,高橋 茂,西野博二らにトランジスタ回路やディジタル計算機について多くの教えを受けた.彼の最初の仕事は我が国のトランジスタ計算機の1号機であるETL Mark IIIのバックパネルの配線のハンダ付けであった.彼は1957年大阪大学工学部助手を経て,電気試験所電子部に技官として勤務し,ETL Mark IV,ETL Mark V,ETL Mark VIの研究開発に従事した.その当時の電気試験所の使命は,トランジスタ計算機の国産化に挑戦する企業に技術指導することであったが,実際に彼は日電,日立,北辰電機,ウノケ電子(現,PFU)各社に対する技術指導を担当し,それぞれの商用計算機1号機の開発に多大な貢献をした.彼は1960年9月にイリノイ大学ディジタル計算機研究所で研究中の非同期式高速計算機ILLIAC IIの開発に参加する機会を得て,演算制御装置の設計を担当し,後の研究に役立つ貴重な知見と経験を得た.彼は1968年にETL Mark VIの先回り制御方式の評価に関する論文「計算機システムシミュレーションに関する研究」で工学博士(慶應義塾大学)の学位を取得した.
相磯秀夫は1971年に慶應義塾大学工学部電気工学科に教授として移籍したが,その後の研究も一貫して「計算機アーキテクチャ」に関する課題を対象にした.特に,アーキテクチャの自動最適化,マルチ・マイクロプロセッサ,問題適応型専用コンピュータ,次世代コンピュータ等に関する研究を行ったが,その間に4件の論文賞(米国1件,日本3件),2件の通商産業大臣賞,情報処理学会功績賞等を受賞し,1995年には紫綬褒章を受章している.また,彼は情報処理学会副会長,通商産業省が支援する第5世代コンピュータ,スーパーコンピュータ,情報処理相互運用技術等の国家プロジェクトの推進委員会委員長を歴任した.
相磯秀夫は大学に移ってからは大学改革にも積極的に挑戦し,1990年には慶應義塾大学に情報技術を基盤として諸学問を横断的にとらえた環境情報学部の新設に,また1994年には大学院政策・メディア研究科の創設に主導的な役割を果たし,初代学部長ならびに大学院委員長を務めた.彼は1999年に慶應義塾大学を退職し,名誉教授の称号を与えられた.彼は.同年4月に東京工科大学に移籍し,我が国最初のメディア学部の設立に参加し初代学部長を務めた.同年6月には学長に就任した.
相磯秀夫は,多年にわたり情報工学の分野で教育ならびに研究に努め,優れた業績を挙げ,学術の進歩のみならず技術開発やその応用の促進に先駆的な貢献をしたことが評価され,2006年4月に瑞宝中綬章を受章している.
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