大本寅治郎は1923年に虎印計算器という名称の機械式卓上型計算機を売りだした.タイガー計算器は,大本がBrunsviga型機械式卓上型計算機を改良して特許をとり,売り出したものである.機械式計算機は19世紀にフランスのCharlesThomasによりはじめて商品化され,その後ドイツのBrunsviga社などによって大量に製造されるようになった.1900年代初頭には日本にも50台ほど輸入されていたという.虎印計算器はその後,日本風の名前では売れないので,"舶来"風のカタカナ名前にしたところ,「タイガー」が手回し計算器の代名詞になるくらいに普及した.1950年代中頃の価格が3万5千円で,価格と性能の面で外国製品を駆逐し,累積販売台数は50万台弱に達した.1950年代後半まで広く実用され,1960年代末期に電卓が普及するまで販売されていた.卓上用とはいえ重さは6キログラムもあった.
タイガー計算機は国立科学博物館,東京農工大学,東京理科大学などに保存されている.