大阪大学の城憲三らが1950年にENIAC型演算装置を試作した.1946年に米国で発表された最初の電子計算機ENIACの演算装置の追試実験を目的として,ENIACの演算装置の機構を説明した文献に基づき,1950年に大阪大学工学部の城憲三,牧之内三郎,安井裕により設計・試作された.真空管を用いた4桁の10進方式演算装置で,4桁を左右2桁ずつに分けて記憶し,2桁+2桁の加減算と転送を200μsで行い,結果を記憶・表示することができた.
このあと城憲三は牧之内三郎,安井裕とともにEDSACの命令体系に基づく本格的な2進法真空管計算機の開発に着手した.こ電子計算機は真空管1,500本,ダイオード4,000本,1,024語の固体遅延線記憶装置を用い,クロック周波数は1MHzであった(EDSACは500KHz).命令形式は1アドレス方式で1語20ビット,数値語は通常40ビット(2語構成のロングワード)で20ビットのショートワードも用いられた.記憶素子には電気試験所で開発された記憶容量32語のガラスの固体遅延素子を32個用いて構成した.予算や人手の不足などもあって部品購入・製作・調整には時間を要し,計算機全体の調整を行う最終段階の時点で国産商用計算機の導入が決まったため,阪大真空管計算機の総仕上げは中止された.
ENIAC型演算装置は我が国で作られた真空管の演算装置では最初のものと思われる.ENIAC型演算装置と2進法真空管電子計算機の現物は現在大阪大学総合学術博物館に展示されている.