誕生と発展の歴史

磁気記録媒体を用いた補助記憶装置としては,磁気ドラム装置に続いて体積あたりの記録容量の大きく取れる磁気ディスク装置が開発され,大容量の外部記憶装置として広く利用されるようになった.

汎用コンピュータシステムでは磁気ドラムよりさらに大容量のオンラインファイルが要求されるようになり,数枚の記録円板を重ねて回転させ,体積あたりの容量を大幅に増加させた磁気ディスクが開発された.最初に実用化されたものは1957年のIBMのRAMAC(容量5メガキャラクタ,直径24インチディスク,50枚)で,その後我が国でも磁気ディスクは急速に発展した.1963年にはIBMは複数のディスクを重ね,磁気ディスクを交換できる磁気ディスクパック方式のIBM1311(2メガキャラクタ,14インチ,6枚)を開発した.これ以降,IBMは1964年にIBM2311(7.25メガバイト,14インチ,6枚),1966年にIBM2314(29.2メガバイト,14インチ,11枚),1971年にIBM3330(100メガバイト,14インチ,11枚)とディスクパック装置の新機種を出荷し,市場をリードしたIBM互換機が主流となり,他のメーカはIBM製品をフォローした.

日本の自主技術向上のため通産省は1966年に大型プロジェクトの中で超高性能電子計算機技術の研究開発を取り上げ,その一環として大容量磁気ディスク開発が日立製作所(以下日立)で進められた.1971年に当時のIBMの新鋭機種3330装置を上回る記録密度の磁気ディスク装置の試作が完了したが,商用機としての量産は行われなかった.

1973年にディスクとヘッドの組合せを固定化したIBM 3340(通称ウィンチェスタ)が出荷され,以降のディスクの典型となった.1976年にIBMはディスク非交換の3350装置(318Mバイト)を出荷した.日立,日本電気(以下NEC),富士通はこの2倍の容量の600メガバイト の磁気ディスク装置を1980年前後に開発した.電電公社はNEC,日立,富士通と協力して,1979年に当時世界最大容量の1スピンドル当たり800メガバイトの801形(JS4370)磁気ディスク装置を実用化した.1980年代に入ると日本の独自技術による製品が開発され世にでることになった.

1980年代には薄膜ヘッドが登場する.NECは1982年に国産初の薄膜ヘッドを採用した固定ディスク装置N7761(2.68ギガバイト)を発売した.電電公社が開発し1982年に実用化したJS4380(通称PATTY : Packaged air-tight tiny disk ) は,薄膜媒体を採用し,当時の最高記録密度15.5メガビット/平方インチを実現した.PATTYや富士通のF6421(Eagle, 1981年)では,完全密閉構造を実現し信頼性を向上させた.

1979年に8インチ,1980年に5.25インチのディスクが作られ始め,ミニコン,オフコンなどに利用された.1979年に富士通は8インチ磁気ディスクを採用したM2301 磁気ディスク装置を完成した.三菱電機は1981年に5.25インチ磁気ディスク装置M4863を発表した.1987年に富士通は3.5インチ磁気ディスク装置M2225を完成,1988年に東芝は3.5インチ磁気ディスク装置MK-130FAシリーズを出荷し,パソコン用の3.5インチ型が主流になった.ノートパソコン用には2.5インチ型が登場した.東芝は1990年にガラス基板メディアを採用した2.5インチ磁気ディスク装置MK1122FCを発売した.

複数の磁気ディスク装置によって性能や信頼性を向上させる集団ディスク方式の磁気ディスク装置は1966年にIBMが2314を出荷した.1970年には富士通がFACOM 472K,日立がH-8577を完成した.以後制御装置に種々の機能が取り込まれた.ディスクキャッシュの機能は,1978年にMemorex社が最初に発表し,1980年にはNECが発表した.

1980年代になると小型のディスクを並列に処理する方式が有利になり,1987年にカリフォルニア大学のデイビッド・パターソンがRAID(Redundant Array of Inexpensive Disks)と名付けて提唱した.米国のEMC社はメインフレーム用ディスクアレイを1990年に発表した.日本ではNECがスーパーコンピュータ用の高性能ディスクアレイとしてパリティを持たない8並列の装置(RAID 0)をまず作り,続いて富士通が1991年にスーパーコンピュータ用のRAID 3の装置を出荷した.日立は1992年に中小型システム向けのディスクアレイ装置A-6511を発表した.