誕生と発展の歴史

日本語処理については,1950年代半ばから新聞社などにより,日本語文の電信伝送が始まり,漢字テレタイプが開発された.これには漢字の入力に多段シフト式のキーボードが使用された.1960年代半ばには,ドラム式漢字鍵盤送信機が開発された.

1970年代にはタブレット(ペンタッチ)方式の入力装置が各社で開発された.この方式では,文字盤上に小さな文字を多数並べ,文字をペン状のものでタッチして電子的にコードを発生させ入力する.入力速度は多段シフトより遅いが,タッチが軽く素人向きであった.

2ストローク方式は,漢字を仮名やアルファベット2文字の組合せと1対1に対応させたコード体系を作り,2ストロークの打鍵により入力する方式で,1972年にラインプット社がその論文を発表した.独自キー配列により高い入力速度を可能にしたが,熟練者向きで,一般には普及しなかった.

九州大学の栗原俊彦らは,1964年に仮名漢字方式に関する特許を出願した.仮名文を分節分かち書きで入力し,単語辞書による照合,構文解析,意味解析など,仮名漢字変換に基礎的な手法を提案した.これが今日の仮名漢字変換方式の最初と言われる.これをベースに,沖電気の黒崎悦明らは,1967年に仮名漢字変換試作システムを試作した.1970年代に入ると,大学や企業の研究所で実用化のための研究開発が行われた.

1971年に東芝は,京大の指導のもとに,日本語構文解析の研究を開始した.1977年にシャープは,仮名漢字変換方式の日本語ワードプロセッサ試作機をビジネスショウに参考出品した.東芝は,仮名漢字変換の研究の成果を用いて,日本語ワードプロセッサJW-10を1978年9月に発表した.同年10月のデータショウでこれを一般公開し,翌年2月より出荷した.価格は630万円であった.

以降,各社から種々の方式の日本語ワードプロセッサが次々と発表された.1979年5月には,沖電気が1字単位で漢字を入力する表示選択式OKI WORD EDITOR-200を,同年9月にシャープが全文字配列タブレットを用いたペンタッチ方式のWD-3000を発表した.1980年5月には,富士通が親指シフトキーボードを用いた単語単位表示選択式OASYS 100を,NECが全文字配列タブレット方式NWP-20を発表し,日立は2ストローク方式のBW-20を発表した.

さらに,1980年12月にキヤノンがキャノワード55を,1981年5月にリコーがリポート600を,松下電器(現パナソニック)がパナワード1000,カシオ計算機がWP-1を発表した.1982年に入ると,三洋電機,富士ゼロックス,横河電機が参入し,その後も電機メーカ,事務機メーカなどからワード・プロセッサが発表された.

 当初,各社の日本語ワードプロセッサにさまざまな方式が用いられていた.この後,各社で自然言語処理の研究が進み,仮名漢字変換入力に統一されていった.

 1984年8月に富士通はパーソナルワープロOASYS Liteを22万円で発売して,低価格化の口火を切った.1985年7月には,東芝がラップトップ型のRupo JW-R10を99,800円で発売した.低価格により日本語ワープロの普及が進み,業界全体の生産台数は100万台に達した.1986年11月には富士通から,パーソナル用であるが大型液晶画面(40字×21行)を持つOASYS 30AFが248,000円で発表された.各社から多彩な選択肢が提供されるようになり,この年の生産台数は200万台を突破した.1980年代前半には,入力を容易にするためにキーボード自身を工夫したものも現れ,富士通の「親指シフト」キーボードを採用したOASYSや,NECの「M式」キーボードを採用したPWP-100が発表された.

 1987年5月にはシャープがAI変換機能を持つWD-540を発売し,また1988年2月に東芝がAI推敲機能を搭載したJW-1000AIを発売し,ワープロの高性能化が進んだ.1989年には,年間出荷台数は過去最大271万台に達し,累積販売台数は1,000万台を突破したが,その後年間販売台数は減少していった.

 1980年代にはパソコンの普及が始まり,1990年には日本語対応のOSであるDOS/Vがパソコンに搭載され,価格も20万円を切るようになってきた.しかし,ワープロはパソコンより安いCPUを用いて価格を抑え,プリンタ一体型であること,文書作成専用のソフトウェア,キーボードなどによる使いやすさ,パソコンが家庭にまでは行き渡っていなかったことなどから,引き続き販売され,1993年には累積販売台数が2,000万台に達した.

1985年にパソコン用にWidows95が発売され,使いやすいグラフィカル・ユーザ・インタフェースを備え,インターネットなどにも対応していたことから,家庭にも業務にもパソコンが広く普及した.ワープロとパソコンとでは規模のメリットで大差があり,価格面でも打ち勝つことはできなかった.2000年には積販売台数は3,000万台を突破したが,年間販売台数は26万台とピーク時の1989年の1割に満たなかった.2000年12月に松下電器(現パナソニック)が専用ワードプロセッサから撤退し,他のメーカもそれに続いた.最後まで頑張ったシャープも2001年に生産を停止した.