誕生と発展の歴史

パーソナルコンピュータの誕生

世界最初のマイクロプロセッサ4004が,1971年12月にインテル社から発表された.これは4ビットのマイクロプロセッサで,日本のビジコン社の電卓に使用するために開発されたものであるが,インテルがその販売権を獲得した.インテル社はその後1972年に8ビットマイクロプロセッサ8008を発表し,1974年にはその上位の8080を発表した.1975年に8080を用いたマイクロコンピュータキットAltair 8800が,米国のMITS(Micro Instrumentation and Telemetry Systems)社から発売された.ビル・ゲーツはこのキット用にBASICインタプリタを作成し,マイクロソフト社を設立した.1977年になると,種々の周辺機器を組み込めるようにしたパーソナルコンピュータ(以下,パソコン)が登場した.アップルコンピュータ社が1977年6月にApple IIを出荷し,パソコン市場を創造していった.

国産8ビットパソコンの登場

日本では1974年にソード(現東芝パソコンシステム)がインテル8080を採用したマイクロコンピュータSMP80/Xシリーズを発表した.日本電気(以下NEC)では1976年8月に8080互換のμPD8080A を用いたワンボードマイコンTK-80を発売した.これは技術者のトレーニング用キットであったが,価格が88,500円であったことから,一般のマニア層にまで広がり,マイコンブームの先駆けとなった.ワンボードマイコンは,東芝,日立製作所(以下日立),富士通,シャープなどからも発売された.1977年8月には精工舎が8080Aを用いたSEIKO-5700を発売し,同年9月にはソードがザイログ社のZ80を採用したM200シリーズを発表した.

1978年9月には日立がBASICを搭載しマイクロプロセッサに日立版6800を用いたパソコンベーシックマスターMB-6880を発売した.1978年12月にはシャープがZ80を使用しBASICの使えるセミキットのMZ-80K を発売した.NECは1979年には8ビットPC-8001を発売し,日立,シャープ,NECのこれらの3機種が初期の8ビット機の御三家といわれた.1980年代に入るとより高機能な8ビット機としてNECのPC-8800シリーズ,富士通の FM-8,シャープのX1シリーズが発売され,この3社が市場の中心になった.

MSX規格のパソコン

1983年にアスキーおよびマイクロソフト社によって家庭用8ビットパソコンの共通規格MSXが提案され,MSX規格に準拠したパソコンが松下電器(現パナソニック)やソニーなどの家電メーカを中心に14の企業から発売された.ソニーはMSX規格のホームコンピュータHIT BIT HB-55を1983年11月に発売した.1985年には画像表示機能を強化した上位互換のMSX2規格が発表され,9社から製品が発売された.さらに機能強化したMSX2+規格も1988年に発表されたが,16ビットパソコンが家庭にも普及し始めたため,MSX2+規格に準拠したパソコンの発売メーカは,三洋電機,ソニー,松下電器の3社となった.1990年にはMSX規格の最後となるMSX turbo R 規格が発表されたが,これに対応して発売された機種は松下電器のFS-A 1 STのみで,1991年発売のその後継機FS-A 1 GTがMSX規格最後の機種になった.

16ビットパソコンの時代

1981年にはIBM社もパソコン市場に参入し,インテルの16ビットマイクロプロセッサ8088を用いたIBM PCを発表した.OSはマイクロソフト社のMS-DOSと同等のPC-DOSであった.アップルコンピュータ社は1983年1月にリサ,1984年1月にマッキントッシュを発売した.後者は大成功をおさめたが,これはゼロックス社のワークステーションの成果に負うところが多いといわれている.IBM社は同年8月に80286を用いたIBM PC-ATを発表した.インタフェース情報が開放されたためこれがその後の実質的な標準機となり,多くのメーカがPC-AT互換機を発売した.

日本では,1977年にパナファコム(現PFU)が16ビットCPUを用いた学習キットLkit-16を発売したが,16ビットパソコンとしては1981 年 12月に三菱電機が発表したMULTI16が最初である.プロセッサは8088を使用し,OSにはディジタル・リサーチのCP/M-86を採用した.NECは1982年10月に16ビットのμPD8086(8086互換)と画像処理用 LSI μPD7220 を搭載し,OSにMS-DOSを採用したPC-9801を発売した.富士通も1982年11月にFM-8の上位機として,8ビットの6809と16ビットの8088を搭載した16ビットパソコンFM-11を発売した.NECのPC-9801は漢字ROMの内蔵,フロッピーディスクドライブやハードディスクドライブの搭載などシリーズ化をはかり,その後の国内市場をリードした.1985年7月発売のPC-9801VMでは,8086互換でインテルより高速のNEC製プロセッサV30が採用された.

16 ビット機時代になってパソコンが事務用に使用されるようになり,1983〜1984年にはシャープのMZ-5500,沖電気のif 800 model 50など,各社からビジネス用16ビットパソコンが次々発売された.

1987年4月には,エプソンからPC-9800互換機PC-286が発売された.同社の互換機にはデスクトップ型のほか,ラップトップ型やノート型など種々のモデルがあった.プロサイドからはPC-9800とIBM PC/ATの両互換機が1987年に発売された.

ホビー用ではシャープが MC68000を使用したX68000を1986年に発表した.ゲームマシンに対抗できるよう高度なグラフィック機能,強力なAV機能を備えていた.

32ビットパソコン

1987年9月には80386を採用した32ビット機が登場し,NECはPC-98XL2を,富士通はFM R-70を発表した.1989年2月には富士通は CD-ROMドライブを世界で初めて搭載しAV機能を強化した32ビットのFM Townsを発表した.

我が国のPCでは漢字を含む日本語処理に専用のROM(読み出し専用記憶)を搭載していたが,マイクロプロセッサや表示の性能向上に伴いソフトウェアで変換が可能になった.1990年12月に発売されたIBM DOSバージョンJ4.0Vでは,PC-AT互換機に対しソフトウェアだけで日本語処理を実現していた.その後の後継製品も含めDOS/Vと呼ばれ,マイクロソフト社からもMS-DOS-5.0/Vとして販売され,他社のPC-AT互換機でも利用可能となった.多くの日本のメーカはDOS/Vに移行し,米国のPC-AT互換機メーカのコンパックは,1992年1月にDOS/Vを搭載した低価格機を日本市場に投入した.富士通は1993年10月にPC/AT互換機のFMVシリーズを発売した.

マイクロソフト社では1980年代後半からMS-DOS上で動くGUIを持ったWindowsの開発を行っていたが,1995年にリリースしたWindows 95は,本格的なマルチメディア機能やネットワーク機能を実現した.そしてWindows版のアプリケーションソフトがつぎつぎ登場するようになった.NECは1997年に10月にそれまでの戦略を転換し,次世代世界標準仕様「PC97/PC98システムデザイン」を取り入れたPC-98NXシリーズを発表した.

ノートパソコン

1980年代後半には,16ビットCPUを使用し持ち運び可能なラップトップパソコンが登場した.1985年3月にドイツのハノーバーで開催されたハノーバメッセで,東芝は世界初のラップトップパソコンT-1100を欧米市場向けとして展示し,4月より発売した.国内向けには同年4月に富士通がFM16πを,1986年10月に東芝がJ-3100を,同年11月には日本電気がPC-98LTを発売した.

ラップトップパソコンはその後さらに小型化が進み,1989年 6月に東芝は世界初のA4ファイルサイズのノートパソコンDynaBook J-3100SSを発表した.NECも同年10月にノート型のPC-9801N(98NOTE)を発売し,翌年5月には日本初の32ビットノートパソコン98NOTE SXを発表,1991年10月には世界初のカラー液晶搭載ノート型パソコンPC-9801NCを発売した.

ノート型パソコンはさらに小型化,軽量化が進み,ソニーは1997年10月にB5ファイルサイズのVAIOノート505を発売した.