誕生と発展の歴史

ワークステーションという言葉は当初はIBM1620(1959年)やIBM1130(1965年)など科学用小型機を対象に用いられたが,高分解能ビットマップ・ディスプレイを備えたシングルユーザコンピュータという概念のものはゼロックス社のAlto(1973年)に始まる.エンゲルバートが発明したマウスを使用し,世界初のビットマップ・ディスプレイ,世界初のイーサネット,世界初のレーザプリンタが接続されていた.AltoのCPUは16ビットCPUでデータジェネラル社のミニコンピュータのNova に似た命令セットを採用し,ROMに加えて書き換え可能な制御記憶で制御していた.

1980年にアポロコンピュータ社(ヒューレット・パッカード社が1989年に買収)からワークステーションApollo Domainが,1982年にサンマイクロシステムズ社からSun-1が発表された.1983年に発表されたSun-2は16ビットマイクロプロセッサMC 68010を使用し,1985年発表の32ビットワークステーションSun-3ではMC 68020が用いられた.その後はRISCマイクロプロセッサを用いた高性能ワークステーションが開発された.

我が国では,1985年に日立製作所(以下日立)からOA向けの2050, 2020,1986年に日本電気(以下NEC)のフルメディア対応のEWS4800,三菱電機のマルチメディア・エジニアリングワークステーションME1000シリーズ,ソニーのBSDを採用したNWS-800などの32ビットワークステーションが発表された.1987年には富士通のビジネス用Gシリーズ3機種が発表された.

グラフィクスを多用するシステムでは,従来は汎用コンピュータにグラフィック・ディスプレイを接続して使用したものが用いられていたが高価であり,複数のディスプレイで1台のコンピュータを共用すると応答速度が遅くなる問題があった.ワークステーションの性能があがり,グラフィック処理にはワークステーションが広く用いられることになり,エンジニアリングワークステーションの市場が成長していった.1990年に発表されたNECのEWS 4800/260は,RISCプロセッサR 3000に加えてグラフィック処理用に68030を用いて,世界最高のX-Window描画速度を実現した.

1990年にはサンマイクロシステムズ社は,RISCプロセッサSPARCを搭載したSPARCstation 2を発表した.東芝はSPARCを搭載した世界初ラップトップUNIXワークステーションSPARC LT AS1000を発売した.

1991年になると日立の68040,PA-RISCを採用した3050,3050R,富士通のSPARCを採用したDS/90 7000,三菱電機のUNIX RISCワークステーション MELCOM ME RISCシリーズ,沖電気のデスクトップ型高性能ワークステーションOKI station 7300などが発表された.東芝はSPARCを搭載したOEM製品を販売した.富士通はその後,サンマイクロシステムズ社のOEM製品であるS-4/10を1992年に,S-7/300Uシリーズを1995年に発表した.日立はPA7100を採用した12モデルからなるワークステーション3050RXを1993年に,PA7200を採用した9000V シリーズを1995年に発表した.