紙テープ,カードにつづいて磁気テープなどの磁気記録媒体が入出力媒体に用いられ,またこれを使用した補助記憶装置が開発された.磁気テープは当初は安価な外部記憶装置として使用され,オープンリールの1/2インチ巾のものが標準的に使用された.磁気ドラム,磁気ディスクの発達に伴い主に保存用媒体として利用されることになり,カートリッジ方式により小型化がはかられた.
磁気テープは初期のコンピュータではプログラムやデータの記録媒体として重要であり,磁気テープ装置の開発は周辺装置のなかでも特に重要であった.事務処理においては大容量データの取り扱いやデータの分類作業に磁気テープ装置が不可欠であった.1957年の通産省助成金による共同研究では,日本電気(以下NEC)が磁気テープ装置の開発を担当し,真空柱方式によりテープ速度2メートル/秒,記録密度4ビット/mm,10トラックの装置を試作し,1959年に8トラックの製品542磁気テープ装置を完成した.東京芝浦電気(現東芝)でも早くから試作研究に着手し,テープ走行速度1.5メートル/秒,記録密度4〜6ビット/mm,8トラックのテンションアーム式のものを製品化し,1959年に磁気テープ照合機TOSBAC 4100を完成した.1960年にはNECが磁気テープ装置をNEAC-2203に接続して磁気テープ分類(ソート/マージ)を行った.また各社で7トラックまたは8トラックの磁気テープ装置の製品開発が開始され,1960年に富士通信機製造(現富士通)のFACOM 601,1961年に沖電気工業のOKITAC-5099,1962年に日立製作所(以下日立)のH-144が完成した.
1964年にIBMはSystem/360の発表に合わせて9トラック,記録密度800ビット/インチの磁気テープ装置を開発した.その後記録密度を1,600ビットにあげ,1973年の製品では6,250ビット/インチ,2,400フィートリールで媒体容量は125メガバイトとなった.富士通,日立,NECは,この媒体と互換性のある装置を開発し,1970年代後半からOEMの形で海外にも販売した.オープンリールの磁気テープは広く使われ,媒体の製造は2001年まで行われた.
1970年代には蓄積される磁気テープの数は膨大になり,磁気テープの人手による交換や保管作業が問題となってきた.この問題の解決のためIBMは1975年に超大容量記憶装置(Mass Storage System(MSS))(3850型)を開発した.はちの巣状の収納庫に砲弾型磁気テープカートリッジを収容し,回転ヘッドによるヘリカルスキャン方式を採用した.ロボットでカートリッジを記録再生装置に着脱する,数百ギガバイトの容量の完全に自動化された記憶装置であった.我が国でもこれと同等の装置は,電電公社との協力でNECと日本周辺機(日立,富士通の共同出資会社)が1979年に開発し,日立はH-8523を,NECはN7651を発表した.富士通は1980年にFACOM 6450を完成した.その後,日立,NEC,富士通も3850方式をはなれ,最大数千巻を収容するテープライブラリ装置の開発を行い,1990年代後半には最大100テラバイト程度の装置が商品化された.
1970年代からは,ミニコン,パソコンなどで低価格の磁気テープ装置の需要が大きくなり,テープ幅1/2インチ,8mm,1/4インチ,1/8インチと,さまざまなテープ装置が作られた.
オープンリールに替わる装置として1985年にカートリッジを用いるIBM3480(媒体容量200Mバイト)が出荷され,メインフレームでの標準媒体となった.日立,富士通,NECは,媒体互換の装置を開発した.