誕生と発展の歴史

大型のメインフレームからワークステーションやパーソナルコンピュータによる分散処理への移行を背景に,1980年代前半には米国でクライアント/サーバシステムが誕生した.オフィスオートメーションやコミュニケーション基盤などに不可欠のものとしてこの方式が企業に急速に普及した.

ミニコンピュータ上で動くオペレーテイングシステムUNIXが,1969年にベル研究所のケン・トンプソン,デニス・リッチーにより開発され,ミニコンピュータで広く用いられるようになった.UNIXをOSとするワークステーションは1980年代前半に登場したが,1980年代後半には我が国でもワークステーションの開発,販売が開始された.1990年代に入るとパーソナルコンピュータの高性能化に影響を受けてワークステーションの市場も成長率が落ちだし,1990年後半から減少方向に向かった.ワークステーションの上位機はサーバとしても使われていたが,次第にサーバがUNIXワークステーションの主要な役割となっていった.

サーバは多数のクライアントが接続される業務用が主対象のため,処理能力とともにメインフレームと同様の安定性,耐障害性,拡張性などが要求された.そのため2重化,4重化などへの拡張が可能な構成がとられ,ハードディスクのRAID化などが行われた.また,無停止を要求されるものには, ノン・ストップOSによるフォールトトレラントシステムも用意されるようになった.日本のメーカは当初自主技術でUNIXサーバの開発を行っていたが,その後技術導入による開発やOEMによる製品販売に移行していった.サーバのプロセッサについてはMIPS社のRISCプロセッサ(R3000,R4400,R10000),サンマイクロシステムズ社のSPARC(SPARC,SuperSPARC,HyperSPARC,UltraSPARC(64ビット)),ヒューレット・パッカード(HP)社のPA-RISC(7000シリーズ,8000シリーズ(64ビット))などが使用された.

1992年にはUNIX System Vのマルチプロセッサのサポートが行われるようになり,性能強化のためマルチプロセッサ化が進展した.1995年には8プロセッサ搭載のNECのUP4800/770が,また1997年には16プロセッサ搭載の日立の9000V/VT800が,それぞれ業界最高速レベルを実現した.富士通は1999年にSPARC64-GPの64プロセッサ対称型マルチプロセッサ(SMP : Symmetrical Multi-Processor)構成のGP7000Fモデル2000を発表し,さらに2000年には世界統一ブランド「PRIMEPOWERシリーズ」の新シリーズを発表した.PRIMEPOWER 2000では,128プロセッサのSMP構成を可能にした.国産メーカは,当初は各社独自に手を加えたUNIXをサポートしていたが,いずれも米国メーカのものに切り換え,1990年代終わりにおける国産機の主要なUNIXのOSはサンマイクロシステムズのSolaris,HP社のHP-UX,IBM社のAIXとなった.

サーバの高信頼化については,システム構成の2重化やサービスプロセッサの搭載が行われた.日立が1991年に発表したフォールトトレラントサーバFT6100では,プロセッサボードに3重化された演算器が搭載された.同社が1995年1月に発表した3500/730FT,750FTでは,2重化したプロセッサ機構を2系統(全体で4プロセッサ)備えるQPR(Quad Processor Redundancy)方式が採用された.1998年に東芝が発表したUX2000iでは,ホットスワップ可能なディスクアレイ装置をRAID構成とし,本体のCPUと独立したシステムサービスプロセッサを搭載して,ネットワーク経由での遠隔地からの運用管理や保守を可能とした.