国産コンピュータメーカがIBMと基本特許契約

1949年に日本IBMは戦時中の資産凍結が解除されたが,国際収支の均衡と通貨の安定を図ることを目的として同年に施行された外為法により,日本国内で製造しているIBMマシンの製造・販売に伴う特許や技術指導料を親会社のIBMおよびWTC(World Trade Corporation)に送金できなかった.そのため,日本IBMは,1956年よりIBMおよびWTCと,ノウハウを含む技術提携の許可申請をし,外資法という別の法律に基づいてロイヤルティの送金を企図していた.
時を同じくして1957年,電子工業振興臨時措置法を制定し,国産コンピュータメーカの育成策に乗り出した日本政府にとっては,日本IBMの技術提携申請は手放しで認可できるものではなかった.また,商用化を目指した国産メーカにとって,コンピュータに関する基本特許は必ず抵触する部分で,監督官庁の通産省が間に入り,IBMとのクロス交渉が行われた.激しい交渉の末,1960年10月末にIBM側の提案をすべて飲むことで,IBMの持つ基本特許の国産メーカに対する使用許諾を認めさせた.
1960年11月,日本電気,日立製作所,富士通信機製造,沖電気工業,東京芝浦電気,三菱電機,松下電器産業,北辰電機製作所がIBMとの間で基本特許契約の仮調印を済ませ,同年12月の外資審議会にて,IBMと日本IBMの間の技術提携契約とあわせて認可された.契約内容は,IBMは国産メーカに対して,現在および将来にわたって特許の使用を許諾し,料率はシステムやマシン本体は5%,構成部品は1%で,契約期間は5年とされた.最終的に横川電機製作所,島津製作所,芝電気,シャープ,谷村新興製作所,東京電機音響などもIBMとの間で契約を結んだ.