【東京帝国大学航空研究所など】微分解析機

東京帝国大学航空研究所科学第二部(以下,航空研)の佐々木達治郎らは,昭和航空計器研究部との共同研究により,我が国最初の微分解析機を1942年に製作した.微分解析機は,積分器などを用いて常微分方程式を解くための,大型の機械式アナログ計算機である.積分器を組み合わせて微分方程式を解く原理については1887年にジェームズ・トムソンが発明し,MITのヴァネヴァー・ブッシュが最初の実用機を1931年に稼動させた.この機械式計算機は,6階の微分方程式が解けるもので、differential analyzer(微分解析機)と命名され、その設計方式は世界に広がった.

航空研の微分解析機は,積分機4台,乗算機1台,入力卓3台,出力卓1台の構成で,4階の微分方程式が解ける.その後8階の微分方程式が解ける解析機の製作が行われたが,完成の直前に戦災で消失した.1942年に製作した装置は航空研の後身の理工学研究所に保管されたまま,1949年に設立された東京大学生産技術研究所(以下, 生産研)が研究を引き継ぎ,整備・改良にあたった.この経験を基に,生産研の渡辺勝,三井田純一らにより,新たに大型で高精度な,かつ扱いやすい微分解析機の開発が進められた.

完成した装置は,積分機8台,加算機9台,入力卓3台,出力卓1台,連結機構で構成され,そのほかに独立変数主配電盤などが付属している.1951年に製作が開始され,1955年に完成した.製作は,主に東京計測機製作所で,一部は生産研の試作工場で行われた.高精度の実現という点では,積分機単独の精度は0.03%,サークルテストでは0.12%と報告されており,当時世界最高の水準にあった.入力卓からの,解析する方程式の曲線に沿って人手で追尾させる入力の精度と速度とを改善するために,光電式ヘッドを考案し,曲線を自動的に追跡する自動追尾装置を開発した.これにより追尾の精度も速度も人手による場合より1桁近く向上し,解析精度の向上に大きく寄与した.また,動力伝達機構には,当時我が国では電気的なサーボはまだ研究段階であったため,実用性の観点から確実に働くトルク増幅機が採用され,結線には機械的な連結装置が用いられた.

生産研では,微分解析機が完成した1955年よりロケットの開発が始まった.このため,微分解析機は,ベビーロケットやカッパロケットの軌道計算に使用され,積分機8台がフルに活用された.

上記とは別に,現在,東京理科大学近代科学資料館に,積分機3台,入力卓1台,出力卓1台で構成されている,航空研の微分解析機と構造が非常によく似た装置が展示されている.昭和航空計器の銘板がついていることから,航空研の機械とほぼ同時期に製作されたと思われる.1947年に,大阪大学理学部の清水辰次郎が微分解析機を所有し使用した報告があり,清水はその後神戸大学,大阪府立大学を経て東京理科大学理学部に赴任したことから,大阪大学にあった微分解析機が東京理科大学に移送されたといわれている.なお,この微分解析機は,約1年半かけて再整備され,2014年12月に動態復元されている.


東京帝国大学航空研究所で試作された微分解析機東京大学生産技術研究所で試作された微分解析機大阪大学で使用され現在東京理科大学近代科学資料館で展示中の微分解析機