1950年代後半にわが国では事務処理機械化の動きが活発になり,電子計算機産業への関心も高まってきた.1955年4月には(財)電波技術協会に電子計算機調査委員会(委員長 山下英男)が設立され,電子計算機の調査が開始された.2年間の調査をもとにメーカ各社が装置開発を分担する共同開発が計画され,通産省の指導と補助金をうけて分担開発が行われた.通産省は1957年6月に電子工業振興臨時措置法(電振法)を制定し,電子工業の振興を図ったが,これにより電子計算機およびその周辺装置の開発研究,性能改善,生産合理化などに対し,補助金の交付や設備合理化融資が行われた.
電振法の趣旨に沿って,先端技術の調査研究,生産の合理化などに対し利用の普及を目的として,(社)日本電子工業振興協会(電子協,Japan Electronic Industry Development Association(JEIDA))が1958年4月26日に,通商産業大臣の許可を得てメーカ26社により設立された.専務理事には斎藤有が電波技術協会から移って就任した.電波技術協会の電子計算機調査委員会の活動は電子協に移され,メーカが分担試作した装置は電子協で接続することになり,接続実験が行われた.システムとしては完成しなかったものの,周辺装置や記憶装置の試作からかなりの成果が得られた.
電子協は1958年の11月に電子計算機センターを開設した.このセンターは,国産コンピュータ新開発機種を一堂に集め,実用計算を行いながらその性能,信頼性,安定度などのデータにより,一般にPRするショールームであった.センターではさらにプログラムライブラリの作成,プログラマの養成,コンサルテーション,有料受託計算などが行われ,国産コンピュータ利用促進に大きく貢献した.
電子協は2000年4月1日に日本電子機械工業会(EIAJ)と統合され,(社)電子情報技術産業協会(Japan Electronics and Information Technology Industries Association(JEITA))となった.