1964年から始まった貿易自由化は,日本のIMF 8条国移行とOECD加盟に伴ってますます拡大傾向を示し,1960年代末期には完全自由化は避けがたい情勢になってきた.1968年に資本主義国でのGNPが2位となった日本に対し,ニクソンショックによるドル危機(1971年)を迎えたアメリカは自由化を一層厳しく求めた.日本側はコンピュータ産業を戦略産業として保護しようとしたが,流れには抗しがたく,1971年4月,コンピュータ自由化方針が決定された.
これに対応して,通産省はコンピュータ業界6社のグループ化に乗り出し,富士通と日立,日本電気と東芝,三菱電機と沖電気という3グループが,10月から11月にかけて編成された. この3グループは翌年3月にそれぞれ技術研究組合を結成し,1972〜76年に約570億円の補助金を受け,その成果は自由化の期限であった1974年にMシリーズ,ACOSシリーズ,COSMOシリーズとして発表された.