DIPS計画は1967年(昭和42年)にはじまり,DIPS-0計画に引き続いて1968年後半からDIPS-1実用化が開始され,「昭和47年度末(1973年3月)までにデータ通信用大型標準情報処理システムを,ハードウェア・ソフトウェアともに完成し,システムの性能,性能/コスト比において一流の外国機とも比肩し得るものであること」という目標をかかげて,電電公社通研の主管のもとに,日本電気,日立製作所,富士通との4社共同研究体制が1969年4月からスタートした.
1971年10月にはDIPS-1試作機を完成し,1972年3月には東京芝局に現場試験機(DIPS-1F)が導入された.世の中に先駆けて4台マルチプロセッサ,ローカルメモリ,ページングを組み合わせた方式,NMOS-IC採用,主記憶16MBを実現するとともに,ハードウェアの製造については3社各々が担当可能とし,いわゆるマルチベンダハードウェアを実現したのであった.
DIPS-1においては,ソフトウェアの統一を図るため,機械語を含めたアークテクチャの標準化,周辺装置の互換性を確保するI/Oインタフェースの標準化が試みられ,のちに科学技術計算サービス(DEMOS-E 1972年11月サービス開始)や千葉銀行システムなどの商用システムに導入された.