通信回線と情報処理装置とを直結し,伝送および情報処理を行うデータ通信サービスが,各々1966年5月および1967年8月に当時の郵政省から公衆電気通信役務として承認された.これを機に「通信と処理の融合」を目指すデータ通信システムの研究開発が加速され,TSS(Time Sharing System)による共同利用方式を早期に実現し,この方式による特にソフトウェア上の問題を早急につめることを狙いとしたDIPS-0計画(日立製HITAC-8400をマルチプロセッサ構成に改造)が電電公社通研において企画された.同計画は,TSS共同利用実験を行い,1968年10月をもって終了した.
この計画は,関口良雄が「多彩なデータ通信サービスの全国展開が急に現実なものになってきた.だが,それを実現するには処理能力が高い標準化されたコンピュータが求められた.アーキテクチャの統一によりプログラム作成を一元化し開発コストを抑えるためだ.そのために構想された電電公社標準システム,それがDIPS-1だった」(出典:「NTT R&Dの系譜」1999年)と振り返るDIPS計画の第一歩となった.
(*) DIPS:Dendenkosha Information Processing System