誕生と発展の歴史

初期のコンピュータから1970年代までは活字式のインパクトプリンタが主流であったが,1970年代後半にレーザプリンタや,インクジェットプリンタなどのノンインパクトプリンタが登場すると静穏性と高速性がまず着目され,1980年代以降はオフィスでの利用が増えるにつれてノンインパクト方式の比重が高まっていった.

初期のコンピュータ入出力装置としては印刷電信機が利用され,キーボード,プリンタ,紙テープ読取機,紙テープせん孔機の4機能を一体化した新興製作所のゼネタイパや沖電気工業(以下沖電気)の万能入出力装置などが広く使用された.しかし印刷速度としては375〜500字/分程度速度で,コンピュータ用には速度が遅すぎたため,早くからラインプリンタの開発が行われた.沖電気は電電公社(現NTT)電気通信研究所(以下電気通信研究所)と共同で活字ベルトを使用するベルト式ラインプリンタを1958年に開発し,1959年6月のパリのAutomath展示会に出品した.これをもとに1行印字数120字,印字速度600行/分(48字種)の装置を製品化した.新興製作所は電気通信研究所と共同で活字ドラム式のラインプリンタを1958年に試作し,これをもとに日本電気(以下NEC)と製品化を行い,1行印字数120字,印字速度200行/分(96字種)300行/分(48字種)の装置を製品化し,NEAC-2203の出力装置とした.日立製作所(以下日立)も新興製作所からドラム式プリンタのメカ部分の供給を受け,1960年にHITAC 301用,1961年にはHIPAC 103用として製品化した.富士通信機製造(現富士通)は1954年にリレー計算機FACOM 100用にタイプバー方式で1行60字を一斉印字して印字速度100行/分のラインプリンタを開発した.引き続き1960年に500行/分(50字種)の活字ドラム式ラインプリンタを開発し,FACOM 222Aの出力装置とした.

活字ドラム式や活字ベルト(バンド)式のラインプリンタは1960年代半ばにはで950〜1,250行字/分(48字種),1970年代半ばには1,600〜2,000行/分(48字種)に達した.活字式のシリアルプリンタも1960年代後半には1,200字/分,1970年代半ばには2,400字/分に達した.またワイヤドット方式のシリアルプリンタも開発され,当初は16ドット程度であったが,1977年に24ドットのプリンタが開発されるとオフィスコンピュータをはじめ,1980年代に発展したワープロなどに広く用いられた.同じく1977年には沖電気が1行132字,110行/分のドットラインプリンタを開発すると,オフコンなどに使われるようになった.

ノンインパクト方式にはレーザや発光ダイオードを利用した電子写真方式,インクジェット方式,熱転写方式がある.1975年にIBMが1万〜2万行/分のレーザ式プリンタIBM3800を発表し,その優位性を広く知らしめた.1977年以降NEC,日立,富士通などが1万行/分クラスのレーザ方式の超高速漢字プリンタを相次いで発表した.日立は1977年に同社初のレーザプリンタH-8191, H-8195, H-8171を出荷した.1980年に,富士通はレーザ式の日本語ラインプリンタFACOM 6715Dを,NECはN7384日本語ページプリンタを完成した.キヤノンは複写機の技術を使って1976年2,000行/分のレーザプリンタを,1979年には半導体レーザを使った卓上型のレーザプリンタLBP-10を発表した.LBP-10は大幅な低価格化・小型化に成功し,このプリンタはヒューレット・パッカード(HP)社やアップルコンピュータ社などにOEMで販売され,以後キヤノンはレーザプリンタの分野で大きな世界シェアを保持している.

インクジェットは連続してインク滴を噴出させる連続方式と必要な時にインク滴を噴出させるオンデマンド方式があるが,1970年代の終わりには連続方式の製品化が始まった.オンデマンド方式は1984年にHP社とエプソンが,1985年にはキヤノンが製品を発表した.オンデマンド方式は連続式に比べ機構が単純で,ヘッドの高密度化が可能で,マルチヘッド化も進められ,カラー化,高品質化,高速化が次第に可能になった.1990年にはキヤノンが個人用のBJ-10vを発表すると市場を一気に拡大した.1992年にはカラー機も本格化し,1995年以降台数ベースではプリンタの主流となった.インクジェットプリンタの分野ではエプソンとキヤノンの2社は大きな世界シェアを持っている.