日本のコンピュータパイオニア

金田 弘金田 弘
(かねだ ひろむ)
1921〜2000

金田弘は1921年11月13日生まれ.1944年に京都大学電気工学科を卒業し,直ちに日本電気に入社,多重搬送電信,時分割多重通信などの開発研究で成果を上げ,1960年京都大学より工学博士の学位を取得した.

1957年頃,ようやくトランジスタ実用期を迎えた中で,電気試験所におけるETL Mark IVの成功に触発された小林宏治,出川雄二郎のコンピュータ事業化の意図の下,電気試験所高橋 茂らの指導を得て,NEAC-2201の設計に取り組んだ.日本電気における「汎用コンピュータ」開発の端緒である.

NEAC 2201を1958年9月に完成,電子工業振興協会の電子計算機センターに納入した.NEAC 2201の完成でPCSユーザからEDPSの要望が寄せられ,それに応えてNEAC-2203を開発した.磁気テープ記憶装置,大容量磁気ドラム記憶装置,カード入出力装置,ラインプリンタを接続し,入出力装置の多重並行処理を可能にするなど本格的な事務処理システムで1959年に完成,1960年末の受注は23システム15億円の規模になった.当時としては驚異的な数値である.この開発で1961年5月宮城嘉男とともに電気学会より電気学術振興賞進歩賞を受賞した.同時に開発した近畿日本鉄道座席予約システムは1960年4月に稼働開始している.さらに1962年2月,高性能化したNEAC-2206,2230を完成し,上位機種への移行とユーザ層の拡大に成功した.

1962年,日本電気は米国ハネウェルと技術提携したが,事業方針の相違から上位機種とそのOSは日本電気が独自で開発することとなり,金田はNEACシリーズ2200モデル500モデル700およびこれらのタイムシェアリングシステム開発の指揮をとった.NEAC 2200/500は世界に先駆け全IC化を達成した大型コンピュータとして1966年に完成,1967年大阪大学共同利用センターで我が国初のタイムシェアリングシステムとして運用に入った.

1974年取締役,1978年常務取締役に就任し,1980年に退任するまで,日本電気情報処理グループ担当の役員として技術開発と事業を統括した.その間,彼は新シリーズACOS77の開発,NTT DIPS開発計画への対応,米国コンピュータ事業の創設などを推進した.

2000年5月26日没.


(宮城 嘉男)