日本のコンピュータパイオニア

宮城 嘉男宮城 嘉男
(みやぎ よしお)
1928〜

宮城嘉男は1928年11月18日生まれ.1952年に東北大学工学部通信工学科を卒業,直ちに日本電気に入社,伝送技術部門に配属された.1957年,Ge接合型トランジスタが通信装置に実用できる段階になり,トランジスタ論理回路の研究に着手,1958年無誤字電信装置を完成,防衛庁,住友金属などに納入した.当時,我が国ではPCSによる統合管理システムが普及しており,遠隔地とのデータ伝送技術の開発が課題であった.

日本電気は電気試験所からETL Mark IVの技術を導入してNEAC-2201を開発,1958年9月電子工業振興協会の電子計算機センタに納入した.日本電気最初の「汎用コンピュータ」である.宮城は青山成之,島谷和典,北村拓郎らとともに金田 弘の下でこの設計を担当し,それ以降,我が国コンピュータ開発の第一線で活躍することとなった.

宮城らは2201開発の経験を基に,直ちにNEAC-2203の設計に取り組み,翌1959年に完成した.主メモリの一部に磁心メモリを使用し,磁気テープ記憶装置,大容量磁気ドラム記憶装置,カード入出力装置,ラインプリンタを接続,入出力装置の多重並行処理を可能にするなど本格的な事務処理システムで,1960年末の受注は23システム15億円の規模になった.当時としては驚異的な数値である.この開発で1961年5月金田弘とともに電気学会より電気学術振興賞進歩賞を受賞した.さらに,論理回路にSiメサ型トランジスタを使用,主メモリに磁心メモリを使用するなどで高性能化したNEAC-2206を1962年2月に完成した.これらのコンピュータに関する研究により1962年2月東北大学から工学博士の学位を取得した.

1964年,コンピュータIC化技術の開拓に取り組み,世界に先駆け全IC化を達成した大型コンピュータNEACシリーズ2200モデル500を1966年に完成,大阪大学に納入.さらに超高速化技術に挑み,NEACシリーズ2200モデル700を1970年に完成,東北大学に納入した.

1966〜71年の通産省大型プロジェクト「超高性能電子計算機」では,NMOS LSIによるキャッシュメモリの開発に成功し,1970年代のコンピュータLSI化の時代を迎えた.

宮城は1979年コンピュータ開発部門を離れることになったが,それまでの間,コンピュータLSI化の推進,新シリーズACOSシリーズ77の開発,NTT DIPS開発計画への対応など,日本電気のコンピュータ技術開発の責任者として直接指揮に当たった.その後も日本電気エンジニアリング(株)社長(1984〜1994)としてNECコンピュータ技術にかかわった.情報処理学会では1980〜81年度理事を務めた.


(2003.8.21現在)