出川雄二郎は1909年5月31日生まれ.1933年に東京工業大学電気工学科を卒業,同大学助手を経て,1934年日本電気に入社した.通信技術の研究開発に従事し,多重通信における「非直線ひずみ」の研究、「二重平衡変調器」の発明など,今日の超多重搬送通信の根幹となる数多くの成果を生んだ.これらの研究により1943年東京工業大学より工学博士の学位を取得した.また,同軸ケーブルによる広帯域通信などの新技術を推進するなど,我が国公衆通信技術への功績は多大である.
1957年,コンピュータの黎明期にあって,コンピュータが今後の社会経済の発展や電子技術の先導で果たす役割がきわめて大きいものであることを洞察し,新組織を編成し,自ら先頭に立ってコンピュータの製品化,事業化にあたった.電気試験所が開発したETL Mark ・の技術を導入して,1958年9月,トランジスタによるコンピュータNEAC 2201を完成,電子工業振興協会計算センタに納入したのを始めとし,翌年には本格的なEDPシステムとしてNEAC 2203を製品化し市場に送り出すなど,コンピュータ製造を事業として確立した.
1962年,Honeywellとの技術提携を推進し事業の拡大を図る一方で,大型コンピュータ分野で独自開発を推進し,人員や資金を重点的に投入するなど,我が国コンピュータ産業の国際競争力強化に尽力した.出川の推進により,1966年世界に先駆け全IC化大型コンピュータNEAC 2200/500が完成,1967年大阪大学共同利用センターで我が国初の MACシステムとして運用に入った.1971年,コンピュータの自由化に備えて通産省指導によるコンピュータメーカのグループ化が行われたが,出川は東芝との間に共同開発の提携を実現させ,日本電気,東芝両社の共同によるACOS 77シリーズの開発を推進し成功に導いた.
1974年には両社合弁による日電東芝情報システムを設立,社長に就任した.当学会には設立当初からかかわり,1967年,第4代会長に就任した.当時学会は関係分野の急激な進展のため新しい事業が多く,経済的には正に破綻の寸前にあったが,経営的手腕でこの難局を乗り切り,確固たる学会運営の基礎を作り上げ,1970年以降の飛躍的な成長に備えた.
出川は情報処理学会で1964〜65年度理事,1967〜68年度会長を務め, 1976年情報処理学会名誉会員, 1975年電子通信学会名誉会員に選ばれた.NECでは1965年常務取締役,1970年専務取締役に就任,1974年日電東芝情報システム株式会社を設立し社長に就任するまで最高責任者として情報処理事業を統括推進した.
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