東京オリンピック後の一時的な景気減退を除くと1960年代から70年代前半にかけて高成長を記録し,日本経済には旺盛な資金需要が存在していた.その中で都市銀行と地方銀行との間で預金者獲得競争が激化したため,各行では公共料金の自動振替の開始,預金やローンの種類の増大によるバンキングサービスの高度化が見られた.それは行内の事務処理量を増大させ,事務の合理化,省力化がますます求められるようになった.
その中で,60年代半ばより銀行のオンライン化(第1次オンライン)が始まったが,そこではほとんどの銀行が,預金(三井銀行など)や内国為替(地銀協など)といった科目ごとのオンライン化に限られていた.しかし,74年頃に開始された第2次オンラインでは,バンキングサービスの高度化に合わせて,貸付や手形割引,外国為替にとどまらず,経費勘定などのオンライン化も進めていくことになり,勘定科目の大半がオンライン化されることになった.ここに名実ともに銀行の総合オンライン・システムが構築されることになったのである.