日本のコンピュータパイオニア

山田 博山田 博
(やまだ ひろし)
1929〜2013

山田博は1929年3月9日に生まれ, 1952年に東京大学理学部物理学科を卒業後,高橋秀俊研究室で計算機の研究を始めた.当時,高橋研では後藤英一パラメトロンを発明し, パラメトロンを使用したコンピュータの研究開発の機運が盛り上がっていた.山田博はこの計画に興味を示した日本電子測器(株)でパラメトロンコンピュータPD1516を開発し1956年に完成した. 1957年に山田博は富士通信機製造(現,富士通)に移り,パラメトロンコンピュータFACOM212を1959年に,東大で開発したPC2をFACOM202として1960年に商用化した.その後富士通,日本電気,沖電気3社によるFONTACの共同開発(1963〜64年)に参画し,その成果を基にFACOM230-50,30を開発した.

また電電公社が計画した DIPS-1を1971年に完成させ,DIPS計画の推進に寄与した.富士通・アムダールプロジェクトが発足するに伴い, 100ゲートのLSIを使用したAmdahl470V/6の完成に力を貸した. 1972〜76年の通産省の大型プロジェクトでは,このLSIを使用したFACOM Mシリーズのコンピュータを開発した.これらのコンピュータは世界における富士通の名を高からしめた.

山田博は1979年に富士通研究所に移り,川崎研究所長として人工知能,第五世代コンピュータ,ニューロコンピュータ等の研究を推進し, 2000年に富士通研究所顧問を辞めている.また1990〜99年の間,中京大学情報科学部教授として後輩の教育に当たった.

2013年4月23日逝去


(2003.8.29現在)