日本のコンピュータパイオニア

中澤 喜三郎中澤 喜三郎
(なかざわ きさぶろう)
1932〜2013

中澤喜三郎は1932年10月2日生まれ. 1955年に東京大学工学部応用物理学科を卒業し,同大学院数物系研究科に進学,ちょうど東京大学の山下英男雨宮綾夫らにより1951年より正式に開発に着手されていた, TAC(Tokyo Automatic Computer)の開発プロジェクトに参画した. TACは真空管を用いて日本で開発されたコンピュータで,当初,設計製作は東芝が担当したが, 1954年に組み立てられた最初の機械は遂に稼働するに至らず,途中で全面的な作り直しを東大で行い, 1959年2月に稼働を開始した.中澤喜三郎は, 村田健郎らとともにTACの作り直し設計製作の中心的な役割を担い,これを完成させた.TACは約7,000本の真空管とゲルマニウムダイオードを使用,主記憶装置にブラウン管によるランダムアクセスメモリ(RAM) 512語(35bit/語)を使用した直列論理方式の機械で,333kHzのクロックで,加算0.48ms,浮動小数点乗算5.28msで,浮動小数点演算命令をハードウェアで有し, RAMを最初から使用した先進的な機械であった.完成後は 1962年まで学内の実用に供され,数学の定理の証明などにも使用された.

中澤喜三郎は,1960年同大学院数物系研究科修了,工学博士(東京大学)取得後日立製作所に入社し,HITAC5020,5020E/Fなど,主として,同社の汎用大型コンピュータの開発に従事した.HITAC5020,およびE/F系の機械は,個別トランジスタ による高速(18MHz)論理回路を用いて,直列型の32bit/語を基本とする論理構成で,単なる受動素子である電磁遅延線を複数のレジスタに使用するという特徴を持った命令セットアーキテクチャの国産初の大型コンピュータであり,学術研究,気象予報,産業などに広く使用された.

その後,通産省の大型プロジェクトの超高性能電子計算機や,その商用機で,高速 LSI仮想記憶方式や,キャッシュメモリ,多重プロセッサなど,先端的な技術の商用化を行った.さらに,Mシリーズ機の開発,事業化,さらにはスーパーコンピュータ S-810/820などの開発でも,先導的な役割を果たした.

1989年に日立より,筑波大学に移り,ここでも,スーパースカラ方式のRISCプロセッサに,スライドウィンドウ方式のレジスタ拡張を行うことにより擬似的にベクトル処理を行わせるように性能強化したプロセッサを2,048台接続した世界最高速 (614GFLOPS)の超並列計算機システムCP-PACSの開発の中心的役割も果たした.その後,電気通信大学,明星大学に移り,後進の育成に努めている.

2013年1月25日逝去


(2003.8.29現在)