日本のコンピュータパイオニア:雨宮 綾夫

雨宮 綾夫雨宮 綾夫
(あめみや あやお)
1907〜1977

雨宮綾夫は1907年生まれ.1931年東京帝国大学理学部物理学科を卒業,原子・分子の研究に入り,当該分野では著名な「小谷・雨宮のテーブル」を完成した.その間の数値計算の労苦の経験から,東大のTAC開発に深くかかわることになった.後年は放射線による高分子の研究に転じ,その分野にて著しい業績を上げた.東京大学教授,電気通信大学教授を歴任,1973年に退官の後,1977年他界した.

雨宮がTACに深くかかわったのは,東京大学工学部応用物理学科助教授の時代であった.TACプロジェクトの公式の発端「電子計算機の研究」(1951年文部省科学研究費)以来,東大側の実質的責任者としてプロジェクトを主導した.またプログラミングに関するセミナーを主催して多くの研究者を育成した(このセミナーにはMaurice Wilkesらの有名な著書,いわゆるEDSACの本が用いられ,雨宮門下の村田健郎,理学部高橋秀俊門下の山田 博後藤英一,工学部山下英男門下の元岡 達などが参加した).雨宮門下からは村田のほか,中澤喜三郎などのハードウェア専門家も輩出した.

晩年には再び数値計算も手がけ,門下の森正武,名取亮ほかを指導して,東京大学大型計算機センターのための線形計算,特殊関数ライブラリの作成に貢献した.その成果はまた,当時としては貴重なソースコード付きの数値計算の専門書「数値計算とFORTRAN」(丸善,1969)の形で出版された.

紫綬褒章受章


(村田 健郎)