元岡達は1929年4月7日東京都生まれ.第三高等学校を経て1952年東京大学工学部電気工学科卒業,1957年助教授,1967年教授.1985年には東京大学大型計算機センター長を務めたが,同年11月病没した.
1952年,工学部の山下研究室に属し,コンピュータTACの開発に携わった後,磁性論理素子,数値制御などを研究し,1960年には「工作機械の数値制御に関する研究」で大河内記念技術賞,1964年にも再度同賞を受けた.
1961年から2年間,イリノイ大学ディジタル計算機研究所客員助教授として超高速回路技術の研究を行い,1965年には,「パルス分配方式ほか」に対し全国発明表彰科学技術長官賞を受けた.また,1974年には「OSの記述に関する一考察」で情報処理学会の論文賞を受けている.論理設計自動化では,1972年から日本電子工業振興協会の専門委員会主査を数年務め,文字認識の研究,文字コードの標準化にも早くから携わり,1977年同協会に日本語処理技術専門委員会を設立,1984年にはOA機器標準化調査委員長,1985年には日本語処理技術の標準化マネージメントボードの部会長となっている.1977年から,ISO/TC97/SC16の委員長,引き続き1984年にはSC21委員長として,OSIの標準化に尽力した.
1970年頃から,コンピュータアーキテクチャの研究を精力的に行い,動的マイクロプログラム方式の機能分散型計算機PPS-1,仕事処理と仕事割付処理とを分けた機能レベルデータフロー計算機Topstar,多次元記憶を備え連想処理を効率よく実行するマシンDream,単一化処理向きハードウェアを備えた並列推論エンジンPIE,ハッシングを用いてJoin処理を効率よく並列化した高速データベースマシンGraceなど,多くのコンピュータを研究試作し,幾多の俊秀を育てた.これらの活動に対し,1980年には,「電子計算機技術の研究ほか情報処理技術の発展に関する貢献」として,情報化促進貢献通産大臣賞を受けている.
また, 1978年から,第五世代コンピュータ開発プロジェクトの調査委員会で, まったく新しく,人間の推論をベースにした計算機システムの研究開発計画を立案し, 1982年から正式に通商産業省のプロジェクトを発足させ,電子計算機基礎技術開発推進委員会委員長としてこの世界的に有名なプロジェクトを指導し,第五世代コンピュータシステム国際会議,FGCS81,FGCS84を成功させた.また,この間, 産業技術審議会におけるスーパーコンピュータの分科会長を務め,亡くなる2ヵ月前にはVLSI国際会議,コンピュータハードウェア記述言語国際会議,それぞれの組織委員長として,病中をおして務めている.この第五世代プロジェクトは,その後, 1992年 (最終は94年) まで続き,並列推論言語KL-1を実行する並列OS PIMOSを備えた並列推論マシンPIMとして結実し,並列論理プログラミング,帰納推論,法律推論,自動プログラム合成など多くの分野を開いた.
1985年には,知友,門下生を中心として元岡記念会が作られ,その行事として元岡賞授賞式が毎年開かれた.これは,1993年で終了したが,上記分野の若い研究者41名が受賞している.
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