日本のコンピュータパイオニア:戸田 巖

戸田 巖戸田 巖
(とだ いわお)
1934〜2022

インタビュー記事

戸田巖は1934年2月1日生まれ. 1958年東京大学大学院修士課程電気工学専攻を修了後,日本電信電話公社へ入社. 電気通信研究所に配属された.喜安善市室賀三郎高島堅助のもとでパラメトロン計算機MUSASINO-1の研究に従事. パラメトロンの論理モデルである多数決素子のスイッチング理論を展開した. 1964年から1965年にかけて米国カリフォルニア大学バークレイ校,イリノイ大学で研究,教育に従事, 日米の格差の大きさに衝撃を受け,帰国後EPL(後のPL/I)コンパイラの開発を推進した.

1965年の電電公社データ通信サービス進出に伴い,電気通信研究所でもデータ通信研究を本格化することになりDIPS計画を立案,まずDIPS-0TSSシステムの研究に着手, 1968年には電電公社データ通信サービスに使用する大型計算機DIPS-1の開発を開始した. DIPS-1は 大規模メモリ,マルチプロセッサ,ページング,キャッシュ等を採用して当時の世界最高速を狙った野心的な計算機で,国産計算機技術育成の観点から日電,日立,富士通各社と共同で開発した.アーキテクチャは各社共通,ハードウェア各社個別設計,ソフトウェアは分担開発を行った.当時IBM360のアーキテクチャが発表されていたが, DIPS-1はオンライン用として性能向上に各種工夫を凝らした独自アーキテクチャを採用した.加えて国産技術の育成のためICメモリ等最新のハードウェア技術を積極的に取り入れた.ソフトウェアは多数の技術者の共同設計であるので,品質管理の思想を取り入れ現在のソフトウェア工学の手法を大胆に実践した.

DIPS-1の商用1号機は,1973年に芝電話局で科学技術計算サービス提供に使用された. DIPS-1は,LSI技術進歩を取り入れて DIPS-11シリーズとして複数機種に展開され, NTT内で多数使用された.開発は1992年まで続けられ,従事した各社技術者は総数5万人に上る. DIPS開発の経験を生かして各社計算機ビジネスの指導者となったものが多い.

戸田 巖はその後NTT常務取締役 研究開発技術本部長として研究開発全般の指導に当たった. 1992年に富士通に 移りネットワーク機器の開発を担当した.


(2003.8.29現在)
2022.9.28逝去(事務局注)