日本のコンピュータパイオニア:高崎 勲

高崎 勲高崎 勲
(たかさき いさお)
1914〜1979

高崎勲は1914年10月18日生まれ. 1939年京都帝国大学工学部電気工学科卒業.直ちに日本電気に入社.同年志願して海軍造兵中尉. 1941年日本電気に復帰.1958年電子工業振興協会が設立されたとき,日本電気から出向して,その初代電子計算機部長に就任.高崎は出向中,1958年11月から,日本電気NEAC2201,日立HITAC301,富士通FACOM212,東芝TOSBAC2100など国産各社の第1号機を,同協会の計算機センターに順次受け入れ,その運用に当たるとともに,1959年2〜3月,「電子計算機とその応用」と題するデータ処理および科学計算のためのプランナ・プログラマ養成講座を開くなど,計算機技術の啓蒙に努めた.さらに上記多種の計算機に共通なアセンブリ言語SIP100が森口繁一によって開発されたので,この言語によるプログラマ教育の推進に当たった.

高崎は1960年4月,情報処理学会の設立に当たり発起人の1人として,また発足後は和田 弘とともに常務理事として,初期の困難な時代にその運営に尽力した(学会の事務所は創立後しばらく,電子協の一部に同居させてもらっていた).

1961年高崎は日本電気に復帰したが,1972年8月要請されて,和田 弘が設立した日本アルゴリズムの初代社長に就任し,システムハウスとしての同社の基盤を築いた.1979年6月18日社長在任中に死去.


(高橋 茂)