大島信太郎は1914年8月5日生まれ.1940年3月九州帝国大学工学部電気工学科卒業.直ちに国際電気通信に入社,無線通信技術の開発に従事するとともに,海軍技術研究所からの委託により,敵に傍受されない通信方式として,現在のスペクトル拡散方式に相当する独創的な方式を開発した.
戦後は名古屋大学工学部助教授を経て,1950年電気通信研究所勤務,喜安善市のもとで通信方式の系統的な研究,特にC.Shannonの情報理論に基づく最適な通信方式の検討を行い,これをコンピュータで実現することに精力的に取り組んだ.当時のコンピュータは通信に適用するには速度や信頼性の点で問題点が多かったので,これが大島がコンピュータ技術に関心を持つ契機となった.
1954年大島は国際電信電話(KDD)に入社,取締役研究所長を経て,1977年同社副社長となり,1980年同社を退職した.この間コンピュータに関連しては1957年後藤英一が発明したパラメトロンに強い関心を持ち,東京大学高橋研究室,電気通信研究所,ならびにKDD三者の共同研究を精力的に推進した.またメッキ磁性線による安定・高密度なワイヤメモリの開発を行った.
一方大島はディジタル技術の通信への適用に早くから注目していたので,KDDにおいて,コンピュータ制御による電報中継の機械化,テレックスおよび電話の電子交換機の開発実用化を推進するなど,国際電気通信技術の発展に指導的な役割を果たした.KDD在任中,日本応用磁気学会会長,電気通信学会会長,テレビジョン学会会長などを務め,また情報処理学会でも理事,幹事を務めるなど,これら各学会の発展に貢献した.
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