大野 豊は1924年8月24日生まれ.1946年東京帝国大学第一工学部を卒業,直ちに運輸省(1949年から日本国有鉄道)に入り,鉄道技術研究所に勤務,1962年東京大学より工学博士の学位を授与された.1972年京都大学情報工学科の教授となり,情報システム工学講座を担当,1978年に京都大学情報処理教育センターを創設,その初代センター長を兼務するなど,1988年に定年退官するまで情報工学の教育研究と全学学生の情報リテラシー教育に尽力し,京都大学名誉教授の称号を授与された.1990年立命館大学理工学部情報工学科教授に就任,理工学部長として3学科の新設とBKC(びわこくさつキャンパス)への移転などに経営的手腕を発揮し,1994年に同学を定年退任した.
国鉄在職中は,我が国コンピュータ研究開発の黎明期に当たり,1955年頃から穂坂 衛の指導の下に, コンピュータおよびその応用の研究を開始,列車座席予約業務のコンピュータ化の研究を進め,我が国初のオンラインリアルタイムシステムMARS-1を開発,1960年東海道線特急を対象に運用を開始した.この成功は全国規模の国鉄MARS-100系システムへと発展し,"緑の窓口"が完成することとなった.大野はこの成果により,1960年電気学会進歩賞,1961年科学技術庁長官賞,1968年電子通信学会業績賞などを受賞した.なお大野は国鉄の貨物情報システム,新幹線の列車運行管理システム(COMTRAC)の研究開発にもかかわり,後者の実用化推進に貢献した.
京都大学で大野は,世界的に始まったばかりのソフトウェア工学を主要研究課題とし,要求工学,ソフトウェア設計自動化,プログラム自動生成,並列処理ソフトウェア開発技法,新形態ソフトウェアなどについて,多くの成果を上げ,1986年には情報処理学会論文賞を受賞した.また通産省が1985年から開始した通産省の大型プロジェクト「シグマ」の開発委員会委員長を務めた.
学会関係では,情報処理学会の理事,副会長,会長(第14代)を歴任,また第3回日米コンピュータ会議,第6回ソフトウェア工学国際会議,第12回大規模データベース国際会議などの組織委員長を務め,内外の情報処理研究の発展に貢献,さらに1983年日本ソフトウェア科学会を創設して初代理事長となり,ソフトウェア科学の発展に努めた.
また1991年バブル経済終焉後,停滞が危惧されたソフトウェアの研究を産学連携で行うEAGL事業推進機構を創設し,会長として100名を超える諸大学の研究者によるソフトウェア研究を7年間にわたり推進した.
大野はこのほか,通産省の情報処理振興審議会委員や産業構造審議会臨時委員をはじめ各種の委員会委員や小委員会委員長,またいくつかの財団の理事や評議員を務めている.中でも,1988年に創設された京都高度技術研究所の初代所長,副理事長として,産学連携によるソフトウェアとメカトロニクスの研究を推進,さらに1991年よりパソコンユーザ利用技術協会の会長として,IT時代を支える社会人の情報リテラシー涵養の事業を進めている.また1998年より大学などでの研究成果を民間の企業へ移転するための会社,関西TLOの代表取締役社長に就任した.
大野はこれらの活動の成果により,先述の各賞に加えて1971年紫綬褒章,1996年勲二等瑞宝章を受章,また1975年運輸大臣表彰(情報化貢献個人),1990年情報処理学会功績賞および名誉会員,2001年京都府文化賞特別功労賞等を受賞した.
2012年10月27日逝去(事務局注).
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