岸上利秋は1926年9月24日生まれ.1948年九州大学通信工学科を卒業後,逓信省電気試験所に入所.翌年同所から分離した電電公社電気通信研究所に移り,電信符号伝送方式および符号伝送装置のトランジスタ化の研究実用化を行い,我が国のディジタル伝送方式研究に先鞭を付けた.
1960年より岸上は電電公社におけるコンピュータ実用化の第1号である電話料金計算用コンピュータCM-100の実用化を推進した.同コンピュータは素子にトランジスタ,制御方式に先行制御,入出力の多重制御,マクロ命令等を採用した.さらに特長的なことは,その論理設計の管理および検証にコンピュータシミュレーションを導入し,世界的にもごく早期にCADを採用したことである.岸上がCM-100で開発した技術は,電電公社の電子交換技術および情報処理技術の基盤となった.
1964年岸上は,CM-100で育成した情報処理技術者を率いてプログラム制御電子交換機DEX-1, DEX-21実用化計画に参加し,交換機方式設計のリーダとして,電子交換機開発に情報処理技術が必須なことを実証した.
DEX-1は我が国最初のプログラム制御の交換機で,その実用化のためにCM-100のCAD技術をベースとして論理図,端子布線図の自動作成,プリントパターン自動作成など,今日でいうCAD技術を開発した.さらにその成果を国産メーカに技術移転して,我が国産業へのCAD導入を促進した.
その後岸上は電電公社標準コンピュータDIPSの実用化に転じて,同コンピュータの電電公社事業への導入を推進した.また1974年から開始された電電公社と国産メーカとの超LSI共同研究の成果をDIPS開発に積極的に導入するDIPS-11計画の作成などを指導した.
岸上利秋は1976年日本電気に移り,同社電電システム事業部長,1981年より日本電気ソフトウェア社長などを歴任,1983年には茨城大学工学部教授に就任して後進の指導に当たった.
なお岸上は情報技術の標準化に深い関心を持ち,1967〜68年選ばれて情報処理学会の理事となったときに,和田 弘が主宰していた情報処理学会規格委員会の幹事を務め,以来1980年まで規格委員会委員であった.その間に岸上は規格賛助会費を大幅に増額する了解をメーカと大ユーザから取り付け,学会標準化活動の財政的な基盤を確立するのに大きく貢献した.
2011年6月26日逝去(事務局注)
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