日本のコンピュータパイオニア:石井 善昭

石井 善昭石井 善昭
(いしい よしてる)
1928〜

石井善昭は1928年3月16日生まれ.1951年東京大学第二工学部電気工学科を卒業,直ちに日本電気(株)に入社し,1955年に,日本電気がコンピュータ事業を開始して以来,当初から情報処理事業に従事した.

まず,東北大学大泉研究室との共同開発でSENAC-1(日本電気名NEAC-1102)の日本電気側のプロジェクトリーダを務め,1958年に東北大学に納入した.当時は電子計算機に関する資料はほとんどなく,東北大学の関係者と議論を重ねて機能を規定していったものでこれが日本最初のパラメトロン大型コンピュータであった.

石井はトランジスタ式の高速性の可能性に着目し,トランジスタ式を推進した.この最初の所産が小型コンピュータNEAC-2202で1959年に完成した.NEAC-2202は7台の入出力装置が1台の中央処理装置を時分割的に共用するもので世界でも早期のTSS方式のコンピュータであった.この発明で1968年「自動演算方式」として全国発明表彰科学技術庁長官賞を受賞した.

1964年,製品計画班主任に就任して以来,製品計画と技術の両面で日本電気の情報処理事業に従事した.1978年頃,電気4学会連合大会で「コンピュータにLSIが使用できるか」についてのパネル討論にパネリストとして参加し,LSIを使用することの利点を述べるとともに,難点の克服について意見を述べた.石井は,日本電気のコンピュータ全般,汎用コンピュータNEACシリーズ2200,ACOSシリーズやSBC,パソコンを含め製品計画開発,さらに事業化の推進に種々の役割を演じた.たとえば,日本電気は1979年2月にACOSシステム250を発売したが,IBMがアメリカで新コンピュータ4331,4341の発表後1週間の発表で,世界的にIBMの新シリーズに最も早く対応したものとして反響を呼び,その後の日本電気情報処理事業の顕著な伸長の原動力となった.1982年に16ビットパソコンPC-9800を発売,我が国のパソコンのトップシェアを確保した.1984年に超大型コンピュータACOS 1000および後継機を米国ハネウェル,フランスのブルに製品供与するとともに,技術供与する契約を結び,世界の三大コンピュータ市場日米欧で日本電気の超大型コンピュータを販売する体制ができた.

石井は1991年6月日本電気の情報処理事業の総括の副社長を退任して,アンリツの取締役会長に就任,1999年に取締役相談役に就任した.

1994年情報処理学会功績賞
1995年情報処理学会名誉会員

(2003.8.22現在)