大泉充郎は1913年3月12日生まれ.1935年東北帝国大学工学部電気工学科を卒業,ただちに安立に入社した.この間軍の要請に基づき通信システムの開発,特に帰還増幅回路の開発に大きな成果を上げた. 1951年東北大学に助教授として迎えられ,1953年東北大学教授となって,改めて情報科学・工学の研究開発に専念した.
この時代はまさに我が国の情報科学・工学発展の揺籃期であり,大泉は電子計算機および情報処理システムの研究開発に取り組み,日本の最も重要なパイオニアの1人としてこの分野の発展に大きく貢献した.特に,当時我が国最大級のコンピュータとなった東北大学大型計算機SENAC-1の研究開発プロジェクトは大泉の先見性と実行力のもとで推進され,我が国コンピュータの発展の歴史のなかで重要な貢献を行った.SENAC-1は,この時点でも,現在のコンピュータ・アーキテクチャの持つ重要な機能を実現していた.
大泉のコンピュータネットワーク研究開発に対する先見性もきわめて重要であった.大泉充郎は情報化社会において情報処理システムの中核となるものはコンピュータネットワークであることを早くから予見し, 1960年代前半からその実用化に着手し,東北大学の大型計算機センターと東北地域の大学,高専を結ぶネットワークを構築し,我が国初めての時分割方式による大型コンピュータの遠隔共同利用方式を開発し,実用化した.
また,国際ネットワークの研究ではNASAの衛星ATS-1によるハワイ大学の大型センターと東北大学の大型計算機センターを結ぶコンピュータネットワークの研究開発を推進した.本研究は,ハワイ大学のアロハプロジェクトの一環として推進されたもので,当時将来の全世界コンピュータネットワーク実現の可能性を与える研究として広く内外より期待と注目を集めた.
大泉はその後コンピュータを中心とする数多くの研究開発を推進するとともに,日本学術会議五部委員として広く日本のこの分野の研究開発の発展に努力したが,1991年2月不帰の客となった.
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