日本のコンピュータパイオニア:池野 信一

池野 信一池野 信一
(いけの のぶいち)
1924〜1988

池野信一は1924年9月18日静岡県で生まれた.1944年浜松工業専門学校を卒業し,運輸通信省電気試験所勤務,軍務を経て,1949年東京大学理学部物理学科を卒業した.同年電気通信省電気通信研究所に入所し(1952年より日本電信電話公社に所属),1979年まで同研究所において基礎研究部第一研究室長,池野特別研究室長などを務めた.同研究所退職後,電気通信大学に移り,計算機科学科教授,情報工学科教授を務めたが,1988年逝去した.

池野の研究は大部分が電気通信研究所で行ったものである.回路網理論,情報通信理論と符号理論,オートマトンとスイッチング理論などの理論研究から,電子交換機および計算機の設計と実現,ソフトウエアの開発などの実用研究まで多岐にわたる.回路網理論では分布定数回路の新しい設計理論を作り(1953年頃),これにより工学博士(九州大学)を得た.パラメトロンを用いた半電子交換機の試作では1959年電気通信学会論文賞を受けた.重み一定符号の研究では1971年電子通信学会論文賞を受けた.

現在のいわゆるコンピュータ科学における初期の頃の研究結果も多い.例をあげると,万能チューリング機械の小さいものを考案したが(1958年),その後の記号状態積を小さくする競争の最初の結果である.交換ネットワークの交点数の研究は,グラフアルゴリズムの一分野における最も早いものの1つである(1959年).併合挿入法と呼ばれている整列アルゴリズムを考案したが(1960年),ほぼ同時期に世界の数ヵ所で発表されたものである.
MUSASINO-1B計算機で開発したAUTO CODEシステムは,日本で最初のコンパイラの1つである(1961年).

著書の代表例として「現代暗号理論」があり(1986年),電子情報通信学会著述賞を受けた.マイクロコンピュータの初期の時代に啓蒙的な解説記事を多数執筆した.パズルの世界でも有名人であり,著書や多数の雑誌記事がある.

電気通信研究所時代の後期,電気通信大学時代は指導的立場で研究と教育に携わった.指導した多くの人々は池野門下生と呼ばれ,現在大学や企業などで活躍している.研究では理論指向の鋭さと道具を作り出す独創力を大いに発揮したが,人柄は寛容で穏やかであり,また多彩な趣味を持ち,研究を離れても門下生はじめ多くの人々から親しまれた.


(野下 浩平)

1988年10月24日逝去(事務局注).