製造年 | 1950年代 |
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製造者 | 大阪大学工学部城研究室 |
所有者 | 大阪大学 |
史料所在地 | 〒560-0043 大阪府豊中市待兼山町1-20 大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館 |
公開情報 | 公開中 |
照会先 | 待兼山修学館 Tel.06-6850-6284 https://www.museum.osaka-u.ac.jp/ |
大阪大学工学部教授の城憲三は戦時中から計算機械の研究を行っていたが,1946年に米国で真空管計算機ENIACが開発されたことを知ってただちに電子計算機の研究を開始した.城は,牧之内三郎,安井裕らとともに1950年に真空管を用いたENIAC型10進演算装置を試作し,ENIACの追試実験を行った.
つづいてEDSACの命令体系に基づく2進法プログラム内蔵型の大阪大学真空管計算機の開発に着手した.この計算機は真空管1,500本,ダイオード4,000本を用い,クロック周波数はEDSACの500kHzに対し1MHzで,加減算時間は40msであった.記憶素子には電気試験所で開発された記憶容量32語のガラスの固体遅延素子を32個用いて1,024語を構成した.予算や人手の不足などもあって部品購入・製作・調整には時間を要し,計算機全体の調整を行う最終段階の時点で国産商用計算機の導入が決まったため,大阪大学真空管計算機の総仕上げは中止された.大阪大学での電子計算機開発は,我が国で最も早く始められたプロジェクトの1つであったため各方面から注目され,その後のコンピュータ開発の先駆けとして大きな役割を果たした.