日本のコンピュータパイオニア

嶋 正利嶋 正利
(しま まさとし)
1943〜

嶋正利は1943年8月22日に生まれる.1967年東北大学理学部化学第二学科卒業.ビジコン社に就職し,電算部門で,各種のプログラミング言語に関する教育を受けプログラマとなる.1967年10月に電卓部門に移り,ハードワイアード論理方式を使った電卓の試作を担当する.当時日本は電卓の供給基地であり,OEMビジネスに適した論理方式を導入することを模索していた.嶋は,1968年11月に,10進コンピュータ・アーキテクチャとROMを使ったストアード・プログラム論理方式のプリンタ付き電卓を開発した.1969年6月に渡米し,10進コンピュータ・アーキテクチャを基本にした事務機向け汎用LSIシステムを開発する過程で,インテル社と協同で世界初のマイクロプロセッサ4004の開発を1971年3月に成功させた.16ピン・パッケージという制限のために4ビットの時分割システムバスを導入し,システムを,プロセッサである4ビットのCPU(4004),命令を格納するROM(4001),データを格納するRAM(4002),出力拡張ポート(4003)の4種類のLSIのみで構成した.当時の科学計算機用電卓には入出力機器としてキーボード,表示(CRT),プリンタ,応用プログラムを読み込むカードリーダなどがあった.開発における最も困難で解決しなければならなかった問題は,電卓というアプリケーション・プログラムを実行しつつ,低性能プロセッサと低速メモリという条件下で,プログラムを使って多種の入出力機器の制御をリアルタイムにどのように行うかであった.問題の解決のために命令セットの最適化と簡単なモニタの導入などを行った.CPUには2,300個のトランジスタを使い,750KHzの動作周波数で約0.065MIPSの性能を達成した.チップ面積は12mm角であった.また,嶋は,4004を使ったプリンタ付き電卓を1971年に開発し,世界初のマイクロプロセッサ使用者となった.電卓の命令用メモリ量は1Kバイトであった.マイクロプロセッサは,知への道具である「知的能力」を人類にもたらし,マイコンへの道を拓いた.1971年9月にリコーに移り,ミニコンへのI/Oタイプライタの接続,大型計算機のチャネルへのグラフィック・ミニコンの接続,高速プリンタの電子制御,ミニコンを使ったドラム記憶装置のテスタ設計に従事した.これらの一連の設計を通してマイクロプロセッサ開発の基礎ができあがった.

1972年11月にインテルに移り,8ビット・マイクロプロセッサ8080(1974年1月に完成)と現在のパソコンにも使われている周辺機器制御用ペリフェラル・チップ(割り込み制御8259,パラレルポート8255,タイマ8253,DMA8257,通信USART8251)などを開発した.8080には5,500個のトランジスタを使い,2MHzの動作周波数で約0.33MIPSの性能を達成した.チップ面積は19.6mm角であった.8ビット・マイクロプロセッサ8080は,高性能マイクロプロセッサへの道を拓き,「計算力」を若き創造者に開放し,世界初のパソコンを誕生させ,「プログラムの時代」をもたらし,ソフトウェア産業を花開かせた.1975年にザイログに移り,パソコン,ゲーム機や制御機器に広く使われた8ビット・マイクロプロセッサZ80と16ビット・マイクロプロセッサZ8000を開発した.1980年に帰国し,インテル・ジャパン・デザインセンタを設立した.1986年にマイクロプロセッサを開発するブイ・エム・テクノロジ−を設立し,インテルx86プロセッサと互換性のあるワードプロセッサに広く使われた16ビット・マイクロプロセッサVM860と32ビット・マイクロプロセッサVM8600を開発した.2000年に会津大学に移り,マイクロプロセッサ開発技術者を養成している.

1992年論文「マイクロプロセッサのハードウェアアーキテクチャの最適化に関する研究」により筑波大学より工学博士の学位を得た.世界初のマイクロプロセッサの開発により,1997年に第13回京都賞(先端技術部門)を受賞し,1998年に米国の半導体生誕50周年記念大会で "Inventor of MPU (Micro-Processor Unit) "を受賞した.著書「マイクロコンピュータの誕生:わが青春の4004」(岩波書店)ほか.


(2003.8.29現在)