製造年 | 1904年頃 |
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製造者 | 矢頭商会 |
所有者 | 北九州市 |
史料所在地 | 〒803-0813 福岡県北九州市小倉北区城内4-1 北九州市立文学館 |
公開情報 | 原則公開(要照会) |
照会先 | 北九州市立文学館 Tel.093-571-1505 |
自働算盤は,矢頭良一が発明し製作した我が国最初の機械式卓上計算機で,当時の海外の機械より優れた機能をもった画期的な計算機であった.
矢頭は中学を中退後私塾で基礎学科を習得し,独力で飛行研究と卓上計算機の研究を行った.福岡日日新聞主筆の高橋光威は矢頭の能力を高く評価し,1901(明治34)年に矢頭を小倉第12師団の軍医部長森林太郎(鷗外)に紹介した.鷗外は矢頭の人柄と研究に感銘し,東京帝国大学の教授に仲介の労をとった.1902(明治35)年3月に矢頭は自働算盤の専売特許を出願申請するとともに,全金属製の自働算盤を完成させた.特許は1903(明治36)年1月に許可され,3月に工場を設けて日本で初めて計算機を製造した.1個の円筒と22の歯車を用い,入力にそろばんと同じ2-5進法を採用した10進法加減乗除の手動式卓上計算機で,乗除算における自動桁送りや計算終了時の自動停止など,海外の計算機より優れた機能を実現していた.1台250円と高価であったが二百数十台が販売された.その売上金は矢頭の飛行機の研究に投入された.矢頭良一は30歳の若さで他界した.
現在残っている自働算盤は,福岡県豊前松江の矢頭良一の妹の家系にあたる久冨家に1台保存されていたものである.