日本のコンピュータパイオニア

西野 博二西野 博二
(にしの ひろじ)
1924〜2010

インタビュー記事

西野博二は1924年3月21日広島市生まれ.1947年9月,大阪大学工学部電気工学科を卒業.同月,商工省電力局に入省.1年後,電気試験所材料部に移籍し,誘電体の理論と測定法の研究に従事.1954年,同所に電子部が創設されて同部に移り,以後計算機の研究開発に従事する.

1956年,点接触型トランジスタと光学ガラスの超音波遅延線記憶装置を利用した,我が国最初のトランジスタ計算機ETL Mark IIIを開発し,トランジスタ計算機の実現可能性を世に示した.ちなみに,記憶装置を持ったトランジスタ計算機としては,世界でも最初とされる.1957年, 接合型トランジスタと磁気ドラム記憶装置を利用した計算機ETL Mark IVを開発.この計算機は北辰電機,松下通信,日本電気,日立製作所など,国内各社の商用計算機のモデルとなった.1960年,入出力専用計算機ETL Mark IVBを開発し,磁心記憶装置を実装した親計算機ETL Mark IV Aと割り込みを利用して接続実験.この入出力制御方式は後に大型計算機のチャネル方式として標準的な方式になった.1961年より1966年まで,高速大型計算機ETL Mark VIを開発.これが電総研での最後の手作り計算機となった.

1966年より1972年まで,通産省工業技術院主管の国家プロジェクト,通称大型プロジェクト「超高性能電子計算機」の研究開発に従事.このプロジェクトによって,我が国の計算機産業が離陸したとの評価がある.

1974年,「高性能電子計算機システムの開発と波及効果」により,日本産業技術大賞総理大臣賞を受賞.1972年より1980年まで,プロジェクトリーダとして,大型プロジェクト「パターン情報処理システム」の研究開発に従事.マルチメディア情報処理の先駆けとされる.1980年より7年間,筑波大学情報工学系教授.1987年から7年間,東京工科大学工学部情報工学科教授.1994年,勲三等瑞宝章.1995年,東京工科大学名誉教授.


(2003.8.29現在)

2010年11月23日逝去(事務局注)