日本のコンピュータパイオニア

喜安 善市喜安 善市
(きやす ぜんいち)
1915〜2006

インタビュー記事

喜安善市は1915年12月11日生まれ.1939年東北帝国大学工学部電気工学科を卒業,直ちに逓信省電気試験所入所,第2部で伝送技術,特に搬送用濾波器の研究に専念し,多量の数値計算に苦しみ,自動ディジタル計算機の必要性を痛感,また戦時研究員として飛行機の無線操縦の研究に参加,アナログ計算機に興味を持つ.電気試験所第2部は数次の行政機構の改革を経て,1950年電電公社電気通信研究所となる.

将来の電子交換と電子計算機との研究に備えて,情報理論と論理回路の研究を行う.1952年阪本捷房と相談,電気通信学会に電子計算機研究専門委員会(委員長前田憲一,幹事喜安)を組織し,研究発表と討論の場を提供公開し,研究の振興をはかる.

1954年この委員会で,高橋秀俊後藤英一が論理素子パラメトロンを発表する.かねてから電子計算機は素子として電子管を排除すべきであるとの思想で研究中の電子計算機の素子にパラメトロンを採用することを決意し,研究を拡大強化し,電電公社・国際電電・東大の共同研究を組織する.1957年電電公社電気通信研究所において,パラメトロン電子計算機MUSASINO-1号(略称M-1)を試作し,約50時間の連続無人運転に成功,部内の計算サービスに提供する.この計算機M-1を大学等各分野の学識経験者,通信機製造会社の幹部と技術者とに公開し,各分野に技術移転を行い,電気試験所の研究,電気通信学会の講習会,通産省の奨励等とあいまって,学会と産業界との電子計算機に対する関心を高め,計算機産業の自立を支援する.計算機の発展は記憶装置にかかっていると考え,磁心,磁気 ドラム,磁気テープの研究の強化と新しい強誘電体記憶の研究を提案する.

電子計算機の考え方を電話交換に導入し,また計算機相互間,計算機と人間との通信網,計算機による数学の定理の証明などを提案する.

(高橋 茂)
(2003.8.29現在)

2006年12月7日逝去(事務局注)