日本のコンピュータパイオニア

山本 欣子山本 欣子
(やまもと きんこ)
1928〜1997

山本欣子は1928年2月8日東京生まれ.1948年に東京女子大学数学科卒業,同年4月逓信省電気試験所に入り,その後日本電信電話公社電気通信研究所に移った.コンピュータ開発の草創期にパラメトロンコンピュータMUSASINO 1(1955年完成)研究開発プロジェクトに参画,ソフトウェア研究開発を担当.その後,日本で商業ベースのコンピュータが出現し始めた頃,1958年新設の日本電子工業振興協会国産コンピュータ共同センターに移籍,航空写真地形補正プログラム等各種先行的実用プログラムの開発とプログラマ育成に従事.プログラマ育成用汎用アセンブリ言語「SIP」を森口繁一等と開発,プログラミング技法伝授のためのセミナーを多数開催.我が国のコンピュータ発展の礎としての役割を担った.

1968年1月設立の日本情報処理開発センター(現在の日本情報処理開発協会)に電子協共同センターが事業移管後,開発課長として特に新しいソフトウェア研究開発に注力.1969年からの国産機によるTSS開発や,インターネットの源流である米国ARPANETをモデルとした「分散型異機種結合コンピュータネットワーク:JIPNET」を1973年から4年間研究開発.JIPNETは国産3機種ホストをIMP・TIPと高速回線で結合した汎用リソースシェアリング実験システムであった.その成果は大学間ネットワークN1の参考になるとともに,各省庁のコンピュータ担当共同研究会による利用実験:RSSに引き継がれた.

1985年に同協会常務理事に就任以降,第五世代コンピュータプロジェクト支援や省庁審議会委員の歴任等対外活動のほか,通産省の情報化人材育成支援事業に取り組み,情報化人材ビジョンの枠組みを提案,17種に及ぶ人材育成カリキュラム策定とモデルテキストの開発を指導.1975,79年の情報処理学会理事を務め,1980年日豪共催の第8回世界コンピュータ会議(IFIP'80:組織委員長尾関雅則)日本側事務局長を担当した.

1997年9月10日,コンピュータひと筋の真摯な人生を終え病没した.


(小川 義久)