日本のコンピュータパイオニア

穂坂 衛穂坂 衛
(ほさか まもる)
1920〜2016

インタビュー記事

穂坂衛は1920年8月25日に生まれ.1942年に東京帝国大学工学部航空学科を卒業,戦時中は海軍技術士官として航空機の構造強度の設計に従事,戦後国鉄の研究所で車輌運動や計測制御の研究を行う.1959年東京大学宇宙航空研究所教授,1975年東京工業大学情報工学科教授を併任し,1981年定年退官後,1997年まで東京電機大学教授,研究所長,大学理事等を務め,2001年現在,豊田工業大学非常勤客員教授である.また1977年〜78年には情報処理学会会長を務めた.

穂坂は1952〜53年MITに留学中,コンピュータの息吹を感じ,N.Wienerに会い「コンピュータと制御の結びつき」に強い関心を抱くようになった.帰国後,その考えを国鉄の研究所の友人達に広め,自発的な研究グループを作った.それがオーソライズされた1955年頃から旅客や貨物の輸送,運行制御の問題に関してシステムの実時間制御を提案し,一方具体的にハードウェア,ソフトウェアの研究や調査も行い,米国製マイクロプログラミングの小型コンピュータBendix G15-Dの技術が参考になることを見抜き,その輸入を実現させ,それにより多くの技術を習得した.大野 豊の努力による最初の国鉄座席システムの開発につながった.

1960年1月,おそらく鉄道としては世界最初のオンラインの座席予約システムMARS-1は東京大阪間のビジネス特急4列車,3600座席15日分を対象としてサービスを開始した.これが予想以上の高信頼性と高性能であったため,国鉄は直ちに全国の多数の列車を対象とし,座席指定券の印刷から審査,統計まで含めた予約関連業務全般についてのコンピュータ化の研究が開始された.穂坂はすでに東大に移籍していたが,これはMARS-1の延長では実現できないとし,マルチプロセスの機能分散の方式を考え具体的にシステムを提案した.後年,その方式は当然となるが, 1960年当時,そのような方式は他では見当たらなかったのに,それが採用された.これは,多くの人の協力と努力で多数の遠隔端末を持つ大規模オンラインシステムであるMARS 101となり,「緑の窓口」として1964年初頭よりサービスに入った.

穂坂のその後の独自な研究は「ディジタル微分解析機」から,我が国最初の「グラフィクスシステム」等の機器設計や応用,CADの理論の展開等があり,また協力したものには東京証券取引所の「相場報道や取引システム」の開発がある.これらの業績に関しては,日本学士院賞その他の賞や,5編の学会論文賞を得ている.


(2003.8.29現在)
2016年10月26日逝去(事務局注).