三浦武雄は1926年10月1日生まれ.1949年に京都大学電気工学科を卒業し,直ちに日立製作所へ入社した.翌年中央研究所に移り,自動制御,アナログ計算機の研究に着手した.1953年には14階非線型微分方程式が解き得る当時としては日本最大級の装置を完成させ,社内の自動制御システムのシミュレーションならびに設計に実用させた.これは当時日本ではもちろん世界でもほとんど例がなかった.その後社外から強い製品化の要望が出され1955年フライトシミュレータとして第1号機が防衛庁に納入された.その後アナログ計算機は高精度化され科学計算用はもちろん,航技研に世界最大級のフライ トシミュレータが納入されるなど広くシミュレータとして利用された.
さらに三浦武雄はアナログ計算機の高速性とディジタル計算機のデータ処理性を活かしたハイブリ ッド計算機を提案し,1958年研究に着手,1959年HIPAC 101との連動システムを完成し,科学技術計算への応用,実用化を図った.1962年には関西電力との共同研究によ り電力経済負荷配分装置として世界最初の画期的な大型ハイブリッド計算機を完成し電力分野のシステム制御に活用された.その後ハイブリッド計算機はスーパーコンピュータが実用されるまで大型計算センター設備の1つとして大いに活用された.
三浦武雄の他の貢献は制御用計算機の開発とシステム,制御への応用である.重電分野に計算機を利用しようとするニーズは1960年ぐらいから高まったが,当時の事務用計算機では厳しい環境下でも安定に動作する高信頼性の確保と実時間応答性等機能の面でも問題があった.これに対処できる制御用計算機HITAC7250ならびにHIDICシリーズの開発に関し常にリーダシップを発揮しこれを完成させ,広く産業分野への応用に貢献した功績は大きい.
また,副社長として社内をリードしたほか,業界・学会面での貢献も大であり,電子工業 振興協会情報政策部会,電子計算機各部会長をはじめ,多くの国際会議の日本代表や情報処理学会会長等を歴任し,国際標準化,国際協力の面で特に多くの功績を残した.最近までIFIPの日本代表であり,副会長として国内外の情報処理技術の発展に貢献した.
2012年2月21日逝去(事務局注)
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