日本のコンピュータパイオニア:猪瀬 博

猪瀬 博猪瀬 博
(いのせ ひろし)
1927〜2000

猪瀬博は1927年1月5日,東京生まれ.1948年東京大学第二工学部電気工学科卒業.同キャンパスが東京大学生産技術研究所に改組されると,ひき続き同所で大学院特別研究員として電話交換機の研究を行う.1954年東芝入社.1956年東京大学電気工学科助教授,1961年同教授.この間,1977年から1981年まで東京大学大型計算機センター長,1983年には,その年創設された東京大学文献情報センター長,1986年工学部長,1987年東京大学を定年退官し,名誉教授に.1986年には文献情報センターから改組した学術情報センターの所長に就任,また2000年にこれが国立情報学研究所に改組され,同研究所長を務める.10月には研究所開所式を行うが,その数日後の10月11日心臓疾患で死去.

猪瀬は大学院研究で電話交換機のトラフィックシミュレーションのための電子回路を製作した.抵抗器の熱雑音を増幅し,それを乱数源として電話の擬似呼を生成することで,実機の約1,000倍高速に特性解析できることを証明する.この論文(学位論文)がベル電話研究所のDeming Lewisの目にとまり,東大助教授就任直後の1956年,ペンシルバニア大学客員教授兼ベル研技術コンサルタントとして招かれ渡米,ディジタル交換機の研究に従事する(1958年まで).その間,ディジタル伝送路上でPCM時間多重された音声タイムスロットの順序を入れ替えることで従来の空間スイッチ方式とは違った原理で電話交換をできることを発見,タイムスロット入れ替え(TSI)と命名してベル研から特許申請する.ディジタル電話交換機の基本特許となる.

帰国後はディジタル交換機の研究を継続するかたわら,東京都の交通渋滞の緩和を目的とした信号機制御システム開発に着手.自動車の集団をマクロなフローとみなし,複雑な道路網トポロジーに適用可能な最適制御方式を確立する.警視庁と協力して7,000台ほどの都内信号機と数万台の車両検知器を通信回線で結び,コンピュータでリアルタイム制御するオンラインシステムを稼働させる(1967年).

東京大学大型計算機センター長に就任する直前に,前センター長島内武彦の勧めで全国の大型計算機センターおよび情報処理センターを結ぶコンピュータネットワークの構築に着手.1976年に東大センター(日立機),京大センター(富士通機)など異メーカの計算機を結んだ資源共有ネットワーク(N-1ネット)の運用を開始させた.

コンピュータネットワークが実現すると,その上で流通すべき研究情報のデータベースが米国に独占されつつあることを指摘,危険性を当時の石油危機を扱った経済小説「油断」にちなんで「情断」と表現し,日本も研究情報データベースに投資すべきことを提言した.これはその後所長を務めた学術情報センターなどにより部分的に達成される.

猪瀬の後半の業績は,OECD科学技術政策議長など,行政活動に関するものが主となる.大学研究所の刷新を目指したセンター・オブ・エクセレンスの提言,独創性育成の提言,情報リテラシーの考え方など,大学研究や教育の問題に関しての提言も多い.また,情報処理学会にはその創設から関与し,1981年から83年まで同学会会長を務めた.

受賞した主な栄誉として,全米科学アカデミー会員,IEEEフェロー,アメリカ哲学協会会員,情報処理学会名誉会員,電子通信学会名誉会員,電気学会名誉会員,テレビジョン学会名誉会員,スウェーデン王立理工学アカデミー会員,大英王立研究所名誉会員,英国王立工学アカデミー会員,日本学士院会員等.受賞として,マルコニ国際学術賞,日本学士院賞,文化功労者顕彰,文化勲章,IEEEグラハム・ベル・メダル,紺綬褒章などがある.


(橋爪 宏達)