日本のコンピュータパイオニア:安藤 馨

安藤 馨安藤 馨
(あんどう かおる)
1914〜1997

安藤馨は,英文学者 安藤勝一郎を父,幸田露伴の妹でバイオリニストの安藤幸を母として1914年5月11日,東京小石川に生まれた.1932年に渡米.1936年にインディアナ大学経営学部を卒業して翌年帰国,日本IBMの前身の日本ワトソン統計会計機械(株)に入社,PCS(パンチカードシステム)のセールスを担当した.

第二次大戦の終戦後,アメリカ留学中の人脈などにより,占領軍総司令部 (GHQ) の顧問として,PCSを活用しつつ戦略爆撃調査や社会統計,経済統計,社会分析のシミュレーションなどを手がけた.その後,日本IBMができると同社に復帰し,日本における汎用計算機ビジネスを確立した.1960年には,日本IBMの常務取締役となり,1963年にはアジアIBMの特別補佐となった.1964年の東京オリンピックの時には,IBM1410計算機とオンラインシステムを駆使した集計システムの開発,運用に注力した.これは計算機を使ってオリンピックの記録を集計した最初の試みであった.

1966年に日本IBMを辞し富士通に移った.安藤は富士通で,国産の計算機メーカには製造の技術力はあるが,マーケティングに弱味があるとの認識から,その部門を強化すべく,富士通ファコムを設立して,同社の社長に就任し,ソフトウェアの開発,計算処理サービスの拡大に努めた.また 一般外部を対象とする電子計算機要員の育成を目的として,1967年,富士通電子計算機専門学校が開設され,安藤はその校長に任命された.電算機メーカが直接指導する電子計算機学校は我が国では最初であった.1970年,富士通常務取締役.安藤は,マーケティング,セールス,システムズエンジニアリング,カスタマエンジニアリング,社内教育制度の改革に努め,1992年まで在籍した.1974年には日本のコンピュータ産業育成,情報化への貢献が認められ,藍綬褒章を授与された.

安藤は1983年にIFIP(情報処理国際連合)の日本人としては初めての会長に就任した (任期は1986年まで).また情報処理学会の国際委員会委員長を1986年から1991年まで務めるなど,多方面で活躍した.

1987年 情報処理学会 功績賞受賞
1989年 情報処理学会 名誉会員

(和田 英一)