日本のコンピュータパイオニア

矢島 脩三矢島 脩三
(やじま しゅうぞう)
1933〜

インタビュー記事

矢島脩三は1933年12月6日の生まれ.1956年に京都大学工学部電気工学科を卒業し,1958年同大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程を修了.博士課程1年生の時,日立製作所戸塚工場に派遣される.これは,恩師である前田憲一を代表者とする文部省特別研究において,京都大学ディジタル型万能電子計算機第1号 KDC-I(Kyoto Daigaku Digital Computer - I)/HITAC 102B の開発に参画するためであった.同機は,日立製作所で開発中であった ETL Mark V/HITAC 102A を参考とし,これと並行して設計開発されたゲルマニウムトランジスタ式の計算機である.KDC-I は,磁気コアメモリと磁気テープシステムを兼ね備え,また科学技術計算向きのきめ細かい浮動小数点演算命令群等を設けていた点で,同方式の国産実用機としては先駆的であった.矢島は2年近くにわたり,論理設計,磁気テープシステムなどの設計と開発の取りまとめ,調整に力を注ぎ,1959年末,ついに本体主要部の稼働に成功する.この時,矢島は作動テストを兼ねて論理設計の配線問題を解くプログラムを作成,KDC-I を用いて実行し,これは初期の CAD (計算機支援設計) プログラムとなった.また,同機の開発過程で,動作マージンを測定するための一種の論理テスタを考案開発し,これは後に製品化されている.

1960年夏,矢島は完成した同機とともに帰学する.KDC-I は,日本の大学における最初のトランジスタ式計算機となり,また,HITAC 102B として商品化されて,経済企画庁などにも導入された.同機は,1961年に発足した我が国大学初の計算センターで運用され,約15年にわたり多くの教官と学生に共同利用されることとなる.KDC-I は電気試験所の技術成果を引き継ぎ,日立製作所技術者および京都大学の教官,大学院生の英知と情熱により結実した,まさに「官産学の結晶」であった.矢島が果たした役割をおいてその成功を語ることはできない.当時矢島が作成した設計開発メモ,日記,記録,論理設計図面,製造図面,調整メモなどは,2004 年に京都大学大学文書館に寄贈されており,当時の技術開発過程を伝える稀有な資料となっている.

矢島は,1961年に京都大学工学部電子工学科の助手となり,その後,講師,助教授をへて,1971 年からは情報工学科論理回路講座の担任教授となる.1976年には住友電工(株)と共同で光ファイバ計算機ネットワーク LABOLINK を開発,また,1977年には関係データベースシステム ARIS を開発しており,これらはともに両分野における先駆的な業績である.その後,研究開発を行った論理CAD用グラフィックシステムについては,特許を取得,1987年頃からは,論理CAD に関連して,論理関数二分決定グラフの研究を進めた.理論研究に関しても,論理回路理論,オートマトン理論,論理CAD,論理設計検証,論理回路アルゴリズム,計算量理論などの分野で多くの成果があり,実用化されたアイデアも少なくない.矢島の指導の下,これらの研究に取り組んだ学生は,その後,VLSI 設計技術やデータベース技術,計算量理論やアルゴリズム理論など,理論と実用両面におよぶ多くの分野の確立に貢献している.大学教員となった者も多く,十余名におよぶ教授を輩出しており,新分野開拓における先見の明と,日本の情報工学および計算機科学分野における後進育成に対する貢献は特筆に値する.

矢島は1997年に京都大学を停年退官後,関西大学教授となり,総合情報学研究科長等を務めた.また2005年には同大総合情報学研究センター長を務めた.KDC-I 関連約10件に加え,40件におよぶ特許を取得しており,また,多くの先駆的論文が,国内学会およびIEEE論文誌,国際会議要録に収録されている.電子情報通信学会フェロー,IEEE Life Fellow である.情報処理学会では,1978年から1979年にかけて,理事,常務理事,IFIP国内委員会委員長などを務め,JIP 創刊にも貢献した.


(菊野 亨)
(2006.9.14現在)