日本のコンピュータパイオニア

渡部 和渡部 和
(わたなべ ひとし)
1930〜

インタビュー記事

渡部和は1930年12月26日島根県に生まれ,1953年京都大学工学部電気工学科を卒業し日本電気に入社した.当時,周波数多重通信システム開発のため高性能濾波器設計が緊急課題であったが,濾波器は近似的簡便法で設計され,高性能を実現するのは困難であった.渡部は1954年9月に伝送通信事業部技術部で濾波器設計を命ぜられ回路理論に基づく新しい濾波器設計理論を開発した.その理論による設計のため電動計算器を駆使して膨大な数値計算(10進10〜20桁の計算)を昼夜兼行で実行した.それは絶壁を登るような困難さで,その克服のため渡部は自動計算機械の開発を決意した.

1954年当時,国内には動く計算機はなく文献もなかったが,徹夜作業の数値計算の過程で,電動計算器を「演算装置」,計算用紙を「記憶装置」,加減乗除ボタン操作を「制御装置」と看做せば,計算作業は「記憶装置(計算用紙)」から数値を読み取り,「演算装置(電動計算器)」に入力し,「制御装置(機能ボタン)」から計算指示を与え,「記憶装置(計算用紙)」に計算結果を書き込むことの繰り返しであり,電動計算器は単に歯車の回転数を数える加算器であることに気がついた.すると自動計算機の構造が自然に浮かび上がり,その基本設計図が明瞭に見えて来た.1954年秋のことだった.

会社では渡部の計算機開発は正規の業務とは認められず,予算も人員も皆無であった.しかし,彼は昼間は本業の回路設計業務に専念し,帰宅後深夜まで一人で計算機開発に没頭する生活を2年以上続け,1957年初頭に基本設計を完成した.それは演算素子としてパラメトロンを採用し2組の浮動小数点演算部(仮数部40ビット+指数部8ビット)を備え,必要に応じて連結して仮数部80ビット,指数部2組8ビットの高精度計算を可能とする世界に類を見ない科学技術用計算機であった.1957年4月にNECと東北大学が共同で計算機を開発することになり,東北大学は渡部設計を全面的に受け入れ,両者共同で設計の精密評価改良を行って1958年11月にSENAC-1(NEAC1102)として完成した.渡部はその改良強化機NEAC1103を1960年に完成し,念願の回路設計CAD専用機として1972年まで無故障で稼動した.その後,渡部はCAD研究,小型計算機開発等に従事した.

1991年から2005年まで創価大学教授を勤めた.

2010年6月,濾波器設計理論と計算機による回路設計(いわゆるCAD)における先駆的貢献に関してIEEEキルヒホッフ賞を受賞.


(2010.11.5現在)